青ざめて物思ふこと人よりも多きに過ぐるたそがれの薔薇
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自分等などよりも物思ひを多くする風に青ざめた顔の白薔薇の花であると、夕明りももう暗くなりかかつた空の下で見たと云ふのであるが、物思ひを多くするらしいと見られてもなほ美を損《そこな》はぬ程度の花であつて、人はまた恋に痩せながらも更らに其れよりも幸福なやうに思はれる。
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浮びたる芥《あくた》の中に一筋の船のあとあるたそがれの川
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都の中の川らしい、川一面と云ふのでないが、作者の目の行つた所には相当に広く芥がひろがつて水を被《おほ》ふて居た。その中に一筋の道が出来てゐるのは、船が行つた跡なのであると云つてあるが、船が作つて行つた道がいかに美くしい水の色をしてゐたか、其れは彼方の川上にも川下にも見出せないやうな清い光をなしてゐたであらう。醜い芥はつつましく身を両側へ退けてゐたに違ひない。
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ねがはくは若き木花咲耶姫《このはなさくやひめ》わが心をも花にしたまへ
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或る音楽者が短歌の作曲をして見たいと申込まれた時に、作者は幾首かの歌を呈供したが、是れもその中の一首であつた。半切などにもよく故人はこの歌を書いた。春の神を呼びかけて云ふのにふさはしい快い調子の歌の出来たのを故人は嬉しく思つて居た。木の花を統べ給ふ情知りのさくや姫よ、自分の心にも花を咲き満たせ給へとかう歌つた作者は青春期になほ籍を置くもののやうに恍惚としてゐる。派手な恋の勇者にもならうと望んでゐる。
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手のひらを力士の如くひろげたるシヤボテンの樹に積るしら雪
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唯《た》だ大きいだけでなく、厚味も豊かな相撲力士の拡げた指のやうな大葉のシヤボテンの樹に雪が白く積つて居る。私にはこの大葉のシヤボテンは嫌ひなものの一つであるが、この歌を見ると、雪の白く積つた何処かの朝の庭でもう一度この木を見直して見ようかと云ふ気がする。
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上目《うはめ》して何となけれど物一つ破らまほしきここちするかな
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他目には唯《た》だ遠い所を見る目附きをして居る自分であらうが、苦しい束縛を自分に加へてゐる目に見えぬ幾つかの物の中の、何かの一つを破つてしまひたい気に自分はなつて居ると云ふのである。
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乾漆《かんしつ》か木彫《もくてう》かとて役人がゆびもて弾《はじ》く如意輪の像
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大和あたりの古い寺へ係りの役所の吏員が来て乾漆で成つた仏像か、木彫仏かと云つて、指で如意輪観音の黒ずんだ像を弾いて見てゐる。彼等は仏像そのものに対して不謹慎であるばかりでなく、いみじい古美術に何らの尊敬を払はうとして居ない。骨董品の性質を調べ上げて能事終るとして居ると云ふのであるが、是れも作者自身を見る世間の目を飽き足らず思つての作であらう。
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その人に我れ代らんと叫べども同じ重荷を負へばかひなし
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これは恋の歌ではなく、友情から発した悲憤の声であらうと思はれる。ある気の毒な境遇に居る人を自分の力で救ひ出さうと思つたが、顧れば自分もその人と同じだけの重荷を負つてゐて、身じろぎも出来ないのであつた。上げた叫びも空なものになつたと悲んで居る。
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美くしき太陽七つ出づと云ふ予言はなきやわが明日のため
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自分だけが見る世界には美くしい太陽が七つまで出るであらうと云ふやうな予言を聞く事が出来ないのであらうか。不運な自分にせめて未来をさう云つて力づけるものがあればいいのであるがと云ふ歌で、作者は空想をただ文字に並べて七つの太陽などとしたのではなく、望む所の美も富も恋も詩も輝やかしく明らかに想像してゐる。その幸福をもう一歩で手に取り得る自信を十分に持つて云つてゐるのが佳いのである。
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わかくして思ひ合ひたる楽しみを礎《いしずゑ》とする人間の塔
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青春時代に相思ひ合つた恋愛の囘想を根拠にして建てた、宗教の外の是れは人間の塔である。自分の礼拝するものはこの以外にないと云つてある。
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手ずれたる銀の箔をば見る如く疎《まば》らに光る猫柳かな
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銀箔の押された屏風が古びて黒くなり、それがまた手擦れて所所の光るのを見るやうな落ちついた快さと同じものを早春の猫柳は見せてゐると云つてある。上白んだ猫柳の芽の銀色はいかにもさうとより思はれない。疎らに附いて居ると
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