て出来たものらしい。花も矢車草であつたであらう。或ひは白いマアガレツトかも知れない。かざすと云ふ言葉は男が洋服の胸へさしたこともかう云つてよいのである。二人で同じ花を胸にさして若い日は去り易い、其れを知つて居る我等は燃ゆる火を内に抱いて相寄つて居るのではないか、罪であつても何であつても仕方が無いと話し合つたと云ふのである。歎くと云ふのは二人の恋の底に不安があるからである。其の場面には花園用の萠葱色のベンチがなくてはならない。
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花園《はなぞの》を隣にもてるここちしぬ匂へる君をいと近く見て
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百花爛漫と咲いた花園の意味では恐らく無いであらうと思はれる。めざましい眩《まばゆ》い花園ではなく、人が一寸《ちよつと》主人に羨望の念を抱く程度の美くしい花園を隣にして住む家に居るやうな幸福感を自分は与へられて居る。其れはこの麗人と膝を並べて坐してゐるからであると云ふのである。
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向日葵《ひまはり》を一輪活けて幸ひのうちあふれたる青玉《せいぎよく》の壺
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青玉の壺へ向日葵を一輪活けて見ると幸福と云ふものが外にまで溢れた形が見えると云ふのである。一つで壺全体を被《おほ》ふた大花であることが解り、其れが勢ひのよい盛りであつたことも解る。心もち横に傾いて居て溢れると云ふ聯想が起つたのであらう。然《し》かもこれは象徴歌で、向日葵は恋を云ひ、静かな青玉の壺に自己の心境を托したものなのである。中年の落ちついた男の恋と盛んな女の恋の形である。
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天つ日が四月の昼に見る夢か武庫《むこ》の高原《たかはら》つつじ花咲く
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空の太陽が陽春四月の昼に見て居る夢が是れなのであらうかと思つた。この躑躅《つつじ》の盛りを見る所は六甲山の高原であると云ふのであつて、躑躅は白などではなく臙脂と樺色であつたのであらう。六甲山はむこやまの当字《あてじ》に最初書かれたのが漢字読みの山の名になつて居るのである。頂上に近く石がちに原をなして居る物は灌木で大方躑躅なのである。作者はかうした景色が好きで、軽井沢から浅間にかけて躑躅の咲く季節に信州へ遊びたいと云つて居たが遂げずに終つた。
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片隅にありて耳をば澄すなりめし
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