かを起さないでは居られないやうな鬱勃《うつぼつ》たる不平がこの歌には見える。
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目を遣れば世の恋よりも何よりも燃えて待つなり片隅の薔薇
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 ふと室の一隅を見ると云ふ言葉で、その時まで作者は或る思ひに懊悩してゐたことが解る。其処には血の燃え立つ色を見せた薔薇の花があつた。世と云ふのは世の人間のと云ふ意である。其れは自分が対象にしてゐる恋人の生温るさには似ない熱意を見せて自分の近づくのを待つ薔薇ではないかと云ふのと同時に作者は溜息を洩《もら》した。待つと云ふ言葉も逢ひたさを云ひ遣つた人の返事が思ふやうな物でなかつた為めに出た言葉ではあるまいか。何よりもはその外の一切の物よりもと云ふのであるが大して其れを強くは云つて居ない。
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この国に呟《つぶや》くことをふと愧《は》ぢぬ冬もめでたき瑠璃《るり》の空かな
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 日本に居て猶《なほ》不足がましく歎息などをしてゐる自分を見出して愧ぢた。冬と云ふのにこの冴えた瑠璃色の空はどうであらう。巴里の冬は毎日陰鬱に曇つて居たではないか、東方の恵まれた自然の中に居る自分ではないかと作者は思つたのである。
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美くしき心を空に書きたれば明星は打つ金《きん》のピリウド
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 自分は夕方の大空を見て清い恋を思つて居た。美くしい言葉にして其れを青色の広い広い紙にも書く自分であつた。この時に出て来た明星は自分の文章に黄金《きん》色の句点を打つたと云ふ歌。
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わが額《ぬか》を鞭《むち》もて打つは誰がわざぞ見覚めて見れば手の上の書《ふみ》
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 ぴしりと自分の前額を打つ者があつた。誰れからこの咎《とが》めを受けたのであるかと目を醒《さま》して考へて見ると、其れは手の上に置いた書物から受けた譴責であつたと云ふのである。作者は全く眠つて居たのではない。夢を見て居たのでもない。瞑目して暫時自己を忘卻して居たのも、既にこの良き書から発せられた警告の為めであつた。是れに接するまでの愚かな自分を鞭打ちたく思つたのはもとより作者自身であつた。
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大いなる傘に受くれば一しきり跳《をど》れる雨も快きかな
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