が甘たれて「我が」とは別な意が出来たのである。さて作者は友の玄耳に深い同情を寄せて居る。蘭を此頃愛して居ると云ふのは、離れて住む情人が遣瀬なく恋しくなる時の心の慰めに過ぎない。蘭に気分を紛らせて居るのであると憐んでゐる。
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穀倉《こくぐら》の隅に息《いき》づく若き種子《たね》その待つ春を人間もまつ
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 今日は暗い穀物倉の隅に納められて居て、吐息をつきながらも来るべき春を待つ思ひに心の燃えて居る何かの生き生きした種子、其れと同じ心もちで未来の光明を待望する人間がある。尠くも自分はさうした人間であると作者は語つて居る。
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幼な児が第一春と書ける文字太く跳《は》ねたり今朝の世界に
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 是れは末女の藤子が或年の春の書初めに、半切《はんせつ》の白紙へ書いた字である。第も春も大人には不可能に思はれる勢ひで跳ねが出来て居た。作者はこの大胆さが嬉しかつたのである。自分等の新しい春はこの子に由《よ》つて強められた。整然とした正月の朝の家が更らに活気づいたと喜んで居る。此処の世界は家の中を中心としたやや狭い意味。
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止まりたる柱時計を巻きながらふと思ふこと天を蔑《な》みせり
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 今まで止まつて居た柱の時計の螺旋《ねじ》を巻きながらふと自分は大それた事を思つた。其れは自然の則も無視することの出来るやうな力が自分の内に充満してゐることを信じたのであつた。つまり時の流れなどは何んでもないのであると云ふやうな思ひがしたのである。
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沈黙《ちんもく》を氷とすれば我があるは今いと寒き高嶺《たかね》ならまし
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 無言で居る境地を氷に譬《たと》へるならば、今自分が居る所は氷雪に満ちた寒い高山の絶頂と云ふべきであると云つて、暗に認識不足な世間に対して、云ふべきを云はず黙して立つ者は、骨も削づられるばかりの冷寒の苦を味はつて居るのを云つて居るのであらう。
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自らを恋に置くなりしら玉よ香る手箱にあれと云ひつつ
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 今や自分は恋愛三昧の人である。白玉にも譬《たと》へたい自分の置場を、他の傷つき易い所に置きたくないからで馥郁《
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