で猶《なほ》何度か見たと云つてゐた。私は以前に小山内薫氏の訳で読んで筋を知て[#「知て」はママ]ゐたから、この芝居は割合楽に見物することが出来た。故人もさうであつたであらう。エルナニは恋敵に或る不始末を見られた贖《あがな》ひとして、何時でも望みの時に命を遣らうと云ふ約束をしておいたが、大詰の城内の結婚式後の宴会の場で、命を望む時に吹かれることになつてゐる角笛の音がして来る、相抱いて恐怖に慄《おのの》く新郎新婦の前にやがてその老人が現れて来て、命を受取ると云ひ、二人は苦悶しながらも毒を飲んで死んで行くのであるが、西斑牙の昔ばかりでなく、かうした禍ひに我我の運命もしばしば脅かされることを作者は歎いてゐるのであつて、恋と云ふ言葉はあつても、其れは幸福と云ふのに代へてあるだけで恋の歌ではない。
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磨かんとして砕けたるそののちは玉の屑《くず》ぞと云ふ人も無し
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磨かうとして過つて砕いた玉に相違ないが是れが玉の屑であつて、小石ではないことを誰れも認めようとしない。曇つたままで置けば玉であることは疑はれなかつたであらうがと作者は思つて云つて居るらしいが、意地の悪い世間は必ずしもさうとは云はなかつたであらう。不幸な作者よ。
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人の見て沙の塔とも云へよかしはかなき中《なか》に自らを立つ
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好意を持たぬ人間から、是れは永久性のない沙の塔であると云はれても構はない。貧しい生活はしながらも独自の人生観を芸術に托して云はうと努める者は自分であると云ふ歌。
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我が玄耳蘭を愛することをしぬ遠方《をちかた》びとを思ひ余りて
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故人澁川玄耳氏が山東省の青島に居られた頃に、愛養の百種の蘭を写真にして送られた。玄耳子は愛人を東京に置いて行つて居られたのである。この場合の「我が」には我が親愛なると云ふ意が含められてある。「我が君」、「我が国」、「我が妻」も単に自分のと云ふだけではないのである。近来は「吾子《あこ》」と言葉を無暗《むやみ》に使用する人もあるが、あれはまた「可愛いい子よ」と呼び掛ける言葉であつて、源氏の中の会話に「あが君」と云つてある所は殊更媚びて云ふ必要のある場合に限られてある。自尊心のある男女の会話には無い。調子
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