新道徳からは、他人を処罰する事などは思いも寄りません。この点で、私は新しい刑法学が懲罰主義や報復主義を排斥して隔離主義を主張しているのに共鳴します。私は平塚さんたちの態度が意外にも矯風会あたりの基督《キリスト》教婦人の態度に何となく似通う所のありはしないかということを恐れます。世間には資本家専制の反動として労働者専制の発生を杞憂《きゆう》する人たちがありますが、私は男子専制の横暴に代えるに女子専制の不作法を以てしてはならないと思います。人間が他人を処罰する資格を何処に持っているでしょう。それの認容されるのは階級道徳の世界に限ります。他人を処罰する思想からは強食弱肉の半獣世界が引出され、軍国主義や特権主義が跋扈《ばっこ》して、平等と自由と愛とに確保された人類の平和というものが期待されなくなります。私は平塚さんたちのいわゆる「道徳的な家庭婦人の立場」が、そのような旧道徳の中にあろうと想われません。恐らくそれは智者にも免れない千慮《せんりょ》の一失《いっしつ》でしょう。
それよりも更に私の疑問とする所は、この請願において、平塚さんたちが現在の因習的結婚を許容されているらしく想われることです
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