食糧騒動について
与謝野晶子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)天明《てんめい》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)米|一揆《いっき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)必ずしもそう[#「そう」に傍点]は
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このたびの三府一道三十余県という広汎な範囲にわたって爆発した民衆の食糧騒動は天明《てんめい》や天保《てんぽう》年間の飢饉時代に起ったそれよりは劇烈を極めて、大正の歴史に意外の汚点を留《とど》めるに到りました。私はこれについて浮んだいろいろの感想の一部を順序もなく書きます。
誰も知る通り、この騒動の直接の原因は物価の暴騰で、就中《なかんずく》米価の法外な暴騰にあるのですが、間接の原因としては、物価の暴騰を激成した成金階級の横暴と、その成金階級の利益を偏重して、物価の調節に必要なあらゆる応急手段を早く取らなかった上に、意義不明の出兵沙汰や、時機を失した調節令などに由って、一層米価の暴騰を助長した軍閥内閣の秕政《ひせい》とに対する社会的不平を挙げねばなりません。
人間は久しい間の歴史的進化を続けて、科学、哲学、芸術、宗教、道徳という類の高級な精神生活を営んではおりますが、一面には動物の一種として、動物に共通する食欲、性欲の如き本能生活を保存しているのですから、生きて行くのに欠くことの出来ない食糧その他の第一必要品の供給が不足し困難になって、一旦、饑餓凍寒の状態が目前に切迫した危急の場合に臨めば、今もなお、食物が全く決定的に専ら生活の因素となっていた元始時代の人間の持っていたのと同じような猛烈な本能的衝動に駆られて、死に抵抗する力を以て、如何なる非常手段を取っても、その危急のために自衛するに足る物質的必要を満たそうとせずに置きません。窮すれば濫し、飢えては道徳の外に立ちます。知識の修養と倫理的意識の訓練とがある者とない者とでは、自制の力を抛棄《ほうき》するのに遅速はあるでしょうが、どうしても尋常一様のことでは饑餓の危険を避けることが出来ないとすれば、何人《なんぴと》も生きようとする意志の不可抗力的妄動のままに、倫理の埒《らち》を越えて、もとより重々の遺憾を感じながら、野性を暴露した最後の非常手段を取ろうとします。みすみす一つの活路があるのに、それを知らぬふりして伯夷叔斉《は
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