、わたしは何《な》んとすべきぞ。
猫
衣桁《いかう》の帯からこぼれる
艶《なま》めいた昼の光の肉色《にくいろ》。
その下に黒猫は目覚《めざ》めて、
あれ、思ふぞんぶんに伸びをする。
世界は今、黒猫の所有《もの》になる。
或手
打つ真似《まね》をすれば、
尾を立てて後《あと》しざる黒猫、
まんまろく、かはゆく……
けれど、わたしの手は
錫箔《すゞはく》のやうに薄く冷たく閃《ひら》めいた。
おお、厭《いや》な手よ。
通り雨
ちぎれちぎれの雲見れば、
風ある空もむしやくしやと
むか腹《ばら》立てて泣きたいか。
さう云《い》ふ間《ま》にも、粒なみだ、
泣いて心が直るよに、
春の日の入《い》り、紅《べに》さした
よい目元から降りかかる。
濡《ぬ》らせ、濡《ぬ》らせ、
我髪《わがかみ》濡《ぬ》らせ、通り雨。
春の夜
二夜《ふたよ》三夜《みよ》こそ円寝《まろね》もよろし。
君なき閨《ねや》へ入《い》ろとせず、
椅子《いす》ある居間の月あかり、
黄ざくら色の衣《きぬ》を著《き》て、
つつましやかなうたた臥《ふ》し。
まだ見る夢はありながら、
うらなく明《あ》くる春のみじか夜《よ》。
牡丹
散りがたの赤むらさきの牡丹《ぼたん》の花、
青磁の大鉢《おほばち》のなかに幽《かす》かにそよぐ。
侠《きやん》なるむだづかひの終りに
早くも迫る苦しき日の怖《おそ》れを
回避する心もち……
ええ、よし、それもよし。
女
女、女、
女は王よりもよろづ贅沢《ぜいたく》に、
世界の香料と、貴金属と、宝石と、
花と、絹布《けんぷ》とは女こそ使用《つか》ふなれ。
女の心臓のかよわなる血の花弁《はなびら》の旋律《ふしまはし》は
ベエトオフエンの音楽のどの傑作にも勝《まさ》り、
湯殿に隠《こも》りて素肌のまま足の爪《つめ》切る時すら、
女の誇りに印度《いんど》の仏も知らぬほくそゑみあり。
言ひ寄る男をつれなく過ぐす自由も
女に許されたる楽しき特権にして、
相手の男の相場に負けて破産する日も、
女は猶《なほ》恋の小唄《こうた》を口吟《くちずさ》みて男ごころを和《やはら》ぐ。
たとへ放火《ひつけ》殺人《ひとごろし》の大罪《だいざい》にて監獄に入《い》るとも、
男の如《ごと》く二分刈《にぶがり》とならず、黒髪は墓のあなたまで浪《なみ》打ちぬ。
婦人運動を排する諸声《もろごゑ》の如何《いか》に高ければとて、
女は何時《いつ》までも新しきゲエテ、カント、ニウトンを生み、
人間は永久《とこしへ》うらわかき母の慈愛に育ちゆく。
女、女、日本の女よ、
いざ諸共《もろとも》に自《みづか》らを知らん。
鬱金香
黄と、紅《べに》と、みどり、
生《なま》な色どり……
※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉細工《しんこざいく》のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。
それを活《い》ける白い磁の鉢、
きやしやな女の手、
た、た、た、た、と注《さ》す水のおと。
ああ、なんと生生《いきいき》した昼であろ。
※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉細工《しんこざいく》のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。
文の端に
皐月《さつき》なかばの晴れた日に、
気早《きばや》い蝉《せみ》が一つ啼《な》き、
何《なに》とて啼《な》いたか知らねども、
森の若葉はその日から
火を吐くやうな息をする。
君の心は知らねども……
教会の窓
崖《がけ》の上なる教会の
古びた壁の脂《やに》の色、
常に静かでよいけれど、
高い庇《ひさし》の陰にある
円《まる》い小窓《こまど》の摺硝子《すりがらす》、
誰《たれ》やら一人《ひとり》うるみ目に
空を見上げて泣くやうな、
それが寂《さび》しく気にかかる。
裏口へ来た男
台所の閾《しきゐ》に腰すゑた
古《ふる》洋服の酔《ゑ》つぱらひ、
そつとしてお置きよ、あのままに。
ものもらひとは勿体《もつたい》ない、
髪の乱れも、蒼《あを》い目も、
ボウドレエルに似てるわね。
髪
つやなき髪に、焼鏝《やきごて》を
誰《た》が当《あ》てよとは云《い》はねども、
はずみ心に縮らせば、
焼けてほろほろ膝《ひざ》に散り、
半《なかば》うしなふ前髪の
くちをし、悲し、あぢきなし。
あはれと思へ、三十路《みそぢ》へて
猶《なほ》人|恋《こ》ふる女の身。
磯にて
浜の日の出の空見れば、
あかね木綿の幕を張り、
静かな海に敷きつめた
廣重《ひろしげ》の絵の水あさぎ。
(それもわたしの思ひなし)
あちらを向いた黒い島。
九段坂
青き夜《よ》なり。
九段《くだん》の坂を上《のぼ》り詰めて
振返りつつ見下《みお》ろすことの嬉《うれ》しや。
消え残る屋根の雪の色に
近き家家《いへいへ》は石造《いしづくり》の心地し、
神田、日本橋、
遠き街街《まちまち》の灯《ひ》のかげは
緑金《りよくこん》と、銀と、紅玉《こうぎよく》の
星の海を作れり。
電車の轢《きし》り………
飯田町《いひだまち》駅の汽笛………
ふと、われは涙ぐみぬ、
高きモンマルトルの
段をなせる路《みち》を行《ゆ》きて、
君を眺めし
夕《ゆふべ》の巴里《パリイ》を思ひ出《い》でつれば。
年末
あわただしい師走《しはす》、
今年の師走《しはす》
一箇月《いつかげつ》三十一日は外《よそ》のこと、
わたしの心の暦《こよみ》では、
わづか五六日《ごろくにち》で暮れて行《ゆ》く。
すべてを為《し》さし、思ひさし、
なんにも云《い》はぬ女にて、
する、する、すると幕になる。
市上
騒音と塵《ちり》の都、
乱民《らんみん》と賤民《せんみん》の都、
静思《せいし》の暇《いとま》なくて
多弁の世となりぬ。
舌と筆の暴力は
腕の其《そ》れに劣らず。
ここにして勝たんとせば
唯《た》だ吠《ほ》えよ、大声に吠《ほ》えよ、
さて猛《たけ》く続けよ。
卑しきを忘れし男、
醜きを耻《は》ぢざる女、
げに君達の名は強者《きやうしや》なり。
[#ここで段組終わり]
[#改丁]
[#ページの左右中央から]
第一の陣痛
(雑詩四十一章)
[#改丁]
[#ここから2段組]
第一の陣痛
わたしは今日《けふ》病んでゐる、
生理的に病んでゐる。
わたしは黙つて目を開《あ》いて
産前《さんぜん》の床《とこ》に横になつてゐる。
なぜだらう、わたしは
度度《たびたび》死ぬ目に遭つてゐながら、
痛みと、血と、叫びに慣れて居ながら、
制しきれない不安と恐怖とに慄《ふる》へてゐる。
若いお医者がわたしを慰めて、
生むことの幸福《しあはせ》を述べて下された。
そんな事ならわたしの方が余計に知つてゐる。
それが今なんの役に立たう。
知識も現実で無い、
経験も過去のものである。
みんな黙つて居て下さい、
みんな傍観者の位置を越えずに居て下さい。
わたしは唯《た》だ一人《ひとり》、
天にも地にも唯《た》だ一人《ひとり》、
じつと唇を噛《か》みしめて
わたし自身の不可抗力を待ちませう。
生むことは、現に
わたしの内から爆《は》ぜる
唯《た》だ一つの真実創造、
もう是非の隙《すき》も無い。
今、第一の陣痛……
太陽は俄《には》かに青白くなり、
世界は冷《ひや》やかに鎮《しづ》まる。
さうして、わたしは唯《た》だ一人《ひとり》………
アウギユストの一撃
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
それはおまへの命の
自《みづか》ら勝たうとする力が――
純粋な征服の力が
怒りの形《かたち》と
痙攣《けいれん》の発作《ほつさ》とになつて
電火《でんくわ》のやうに閃《ひらめ》いたのだよ。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう、
けれど母は驚いた、
またしみじみと嬉《うれ》しかつた。
おまへは、他日《たじつ》、一人《ひとり》の男として、
昂然《かうぜん》とみづから立つことが出来る、
清く雄雄《をを》しく立つことが出来る、
また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、
(征服の中枢は愛である、)
また疑惑と、苦痛と、死と、
嫉妬《しつと》と、卑劣と、嘲罵《てうば》と、
圧制と、曲学《きよくがく》と、因襲と、
暴富《ぼうふ》と、人爵《じんしやく》とに打克《うちが》つことが出来る。
それだ、その純粋な一撃だ、
それがおまへの生涯の全部だ。
わたしはおまへの掌《てのひら》が
獅子《しし》の児《こ》のやうに打つた
鋭い一撃の痛さの下《もと》で
かう云《い》ふ白金《はくきん》の予感を覚えて嬉《うれ》しかつた。
そして同時に、おまへと共通の力が
母自身にも潜《ひそ》んでゐるのを感じて、
わたしはおまへの打つた頬《ほ》も
打たない頬《ほ》までも※[#「執/れっか」、127−上−12]《あつ》くなつた。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう。
けれど、おまへが大人になつて、
思想する時にも、働く時にも、
恋する時にも、戦ふ時にも、
これを取り出してお読み。
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
猶《なほ》かはいいアウギユストよ、
おまへは母の胎《たい》に居て
欧羅巴《ヨオロツパ》を観《み》てあるいたんだよ。
母と一所《いつしよ》にしたその旅の記憶を
おまへの成人するにつれて
おまへの叡智が思ひ出すであらう。
ミケル・アンゼロやロダンのしたことも、
ナポレオンやパスツウルのしたことも、
それだ、その純粋な一撃だ、
その猛猛《たけ/″\》しい恍惚《くわうこつ》の一撃だ。[#「一撃だ。」は底本では「一撃だ、」]
[#地から4字上げ](一九一四年十一月二十日)
日曜の朝飯
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
(顔を洗うた親子|八人《はちにん》、)
みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、
みんなが洗ひ立ての白い胸布《セル※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ツト》を当てませう。
独り赤さんのアウギユストだけは
おとなしく母さんの膝《ひざ》の横に坐《すわ》るのねえ。
お早う、
お早う、
それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、
何時《いつ》もの二斤《にきん》の仏蘭西麺包《フランスパン》に
今日《けふ》はバタとジヤムもある、
三合の牛乳《ちち》もある、
珍しい青|豌豆《えんどう》の御飯に、
参州《さんしう》味噌の蜆《しゞみ》汁、
うづら豆、
それから新漬《しんづけ》の蕪菁《かぶ》もある。
みんな好きな物を勝手におあがり、
ゆつくりとおあがり、
たくさんにおあがり。
朝の御飯は贅沢《ぜいたく》に食べる、
午《ひる》の御飯は肥《こ》えるやうに食べる、
夜《よる》の御飯は楽《たのし》みに食べる、
それは全《まつた》く他人《よそ》のこと。
我家《うち》の様な家《いへ》の御飯はね、
三度が三度、
父さんや母さんは働く為《ため》に食べる、
子供のあなた達は、よく遊び、
よく大きくなり、よく歌ひ、
よく学校へ行《ゆ》き、本を読み、
よく物を知るやうに食べる。
ゆつくりおあがり、
たくさんにおあがり。
せめて日曜の朝だけは
父さんや母さんも人並に
ゆつくりみんなと食べませう。
お茶を飲んだら元気よく
日曜学校へお行《ゆ》き、
みんなでお行《ゆ》き。
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
駆け出しながら
いいえ、いいえ、現代の
生活と芸術に、
どうして肉ばかりでゐられよう、
単純な、盲目《めくら》な、
そしてヒステリツクな、
肉ばかりでゐられよう。
五感が七《しち》感に殖《ふ》える、
いや、五十《ごじつ》感
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