ゆ》く。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
お前さん達はみんな
可愛《かは》いい、元気な8《はち》の字少年隊。
行《ゆ》くがよい、
行《ゆ》くがよい、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》………[#「………」は底本では「‥‥‥」]

[#ここで段組終わり]
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   壺の花
      (小曲十五章)

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[#ここから2段組]

    コスモス

一本のコスモスが笑つてゐる。
その上に、どつしりと
太陽が腰を掛けてゐる。
そして、きやしやなコスモスの花が
なぜか、少しも撓《たわ》まない、
その太陽の重味に。


    手

百姓の爺《ぢい》さんの、汚《よご》れた、
硬い、節《ふし》くれだつた手、
ちよいと見ると、褐色《かつしよく》の、
朝鮮|人蔘《にんじん》の燻製《くんせい》のやうな手、
おお、之《これ》がほんたうの労働の手、
これがほんたうの祈祷《きたう》の手。


    著物

二枚ある著物《きもの》なら
一枚脱ぐのは易《やす》い。
知れきつた道理を言はないで下さい。
今ここに有るのは一枚も一枚、
十人《じふにん》の人数《にんず》に対して一枚、
結局、どうしたら好《い》いのでせう。


    朱

小さな硯《すゞり》で朱《しゆ》を擦《す》る時、
ふと、巴里《パリイ》の霧の中の
珊瑚紅《さんごこう》の日が一点
わたしの書斎の帷《とばり》[#ルビの「とばり」は底本では「とぼり」]に浮《うか》び、
それがまた、梅蘭芳《メイランフワン》の
楊貴妃《やうきひ》の酔《ゑ》つた目附《めつき》に変つて行《ゆ》く。


    独語《どくご》

思はぬで無し、
知らぬで無し、
云《い》はぬでも無し、
唯《た》だ其《そ》れの仲間に入《い》らぬのは、
余りに事の手荒《てあら》なれば、
歌ふ心に遠ければ。

    ※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばつた》

わたしは小さな※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばつた》を
幾つも幾つも抑《おさ》へることが好きですわ。
わたしの手のなかで、
なんと云《い》ふ、いきいきした
この虫達の反抗力でせう。
まるで BASTILLE《バスチユ》 の破獄《らうやぶり》ですわ。


    蚊

蚊よ、そなたの前で、
人間の臆病心《おくびやうしん》は
拡大鏡となり、
また拡声器ともなる。
吸血鬼の幻影、
鬼女《きぢよ》の歎声《たんせい》。


    蛾

火に来ては死に、
火に来ては死ぬ。
愚鈍《ぐどん》な虫の本能よ。
同じ火刑《くわけい》の試練を
幾万年くり返す積《つも》りか。
蛾《が》と、さうして人間の女。


    朝顔

水浅葱《みづあさぎ》の朝顔の花、
それを見る刹那《せつな》に、
美《うつ》くしい地中海が目に見えて、
わたしは平野丸《ひらのまる》に乗つてゐる。
それから、ボチセリイの
派手な※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]イナスの誕生が前に現れる。


    蝦蟇《がま》

罷《まか》り出ましたは、夏の夜《よ》の
虫の一座の立《た》て者で御座る。
歌ふことは致しませねど、
態度を御覧下されえ。
人間の学者批評家にも
わたしのやうな諸君がゐらせられる。


    蟷螂《かまきり》

男性の専制以上に
残忍を極める女性の専制。
蟷螂《かまきり》の雌《めす》は
その雄《をす》を食べてしまふ。
種《しゆ》を殖《ふ》やす外《ほか》に
恋愛を知らない蟷螂《かまきり》。


    玉虫

もう、玉虫の一対《つがひ》を
綺麗《きれい》な手箱に飼ふ娘もありません。
青磁色《せいじいろ》の流行が
廃《すた》れたよりも寂《さび》しい事ですね。
今の娘に感激の無いのは、
玉虫に毒があるよりも
いたましい事ですね。


    寂寥《せきれう》

漸《やうや》くに我《わ》れ今は寂《さび》し、
独り在るは寂《さび》し、
薔薇《ばら》を嗅《か》げども寂《さび》し、
君と語れども寂《さび》し、
筆|執《と》りて書けども寂《さび》し、
高く歌へば更に寂《さび》し。


    小鳥の巣

落葉《おちば》して人目に附《つ》きぬ、
わが庭の高き木末《こずゑ》に
小鳥の巣一つ懸かれり。
飛び去りて鳥の影無し、
小鳥の巣、霜の置くのみ、
小鳥の巣、日の照《てら》すのみ。


    末女《すゑむすめ》

我が藤子《ふぢこ》九《ここの》つながら、
小学の級長ながら、
夜更《よふ》けては独り目覚《めざ》めて
寝台《ねだい》より親を呼ぶなり。
「お蒲団《ふとん》がまた落ちました。」
我が藤子《ふぢこ》風引くなかれ。

[#ここで段組終わり]
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[#ページの左右中央から]

   薔薇の陰影
        (雑詩廿五章)

[#改丁]
[#ここから2段組]

    屋根裏の男

暗い梯子《はしご》を上《のぼ》るとき
女の脚《あし》は顫《ふる》へてた。
四角な卓に椅子《いす》一つ、
側《そば》の小さな書棚《しよたな》には
手ずれた赤い布表紙
金字《きんじ》の本が光つてた。
こんな屋根裏に室借《まがり》する
男ごころのおもしろさ。
女を椅子《いす》に掛けさせて、
「驚いたでせう」と言ひながら、
男は葉巻に火を点《つ》けた。


    或女《あるをんな》

舞うて疲れた女なら、
男の肩に手を掛けて、
汗と香油《かうゆ》の熱《ほて》る頬《ほ》を
男の胸に附《つ》けよもの。
男の注《つ》いだペパミント[#「ペパミント」は底本では「ペハミント」]
男の手から飲まうもの。
わたしは舞も知りません。
わたしは男も知りません。
ひとりぼつちで片隅に。――
いえ、いえ、あなたも知りません。


    椅子の上

寒水石《かんすゐせき》のてえぶるに
薄い硝子《がらす》の花の鉢。
櫂《かひ》の形《かたち》のしやぼてんの
真赤《まつか》な花に目をやれば、
来る日で無いと知りながら
来る日のやうに待つ心。
無地の御納戸《おなんど》、うすい衣《きぬ》、
台湾竹《たいわんちく》のきやしやな椅子《いす》。
恋をする身は待つがよい、
待つて涙の落ちるほど。


    馬場孤蝶先生

わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
いついつ見ても若い方《かた》、
いついつ見てもきやしやな方《かた》、
品《ひん》のいい方《かた》、静かな方《かた》。
古い細身の槍《やり》のよに。

わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
ものおやさしい、清《す》んだ音《ね》の
乙《おつ》の調子で話す方《かた》、
ふらんす、ろしあの小説を
わたしの為《た》めに話す方《かた》。

わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
それで何処《どこ》やら暗い方《かた》、
はしやぐやうでも滅入《めい》る方《かた》、
舞妓《まひこ》の顔がをりをりに、
扇の蔭《かげ》となるやうに。


    故郷[#「故郷」は底本では「故」]

堺《さかい》の街の妙国寺、
その門前の庖丁屋《はうちよや》の
浅葱《あさぎ》納簾《のれん》の間《あひだ》から
光る刄物《はもの》のかなしさか。
御寺《おてら》の庭の塀の内《うち》、
鳥の尾のよにやはらかな
青い芽をふく蘇鉄《そてつ》をば
立つて見上げたかなしさか。
御堂《おだう》の前の十《とを》の墓、
仏蘭西船《フランスぶね》に斬《き》り入《い》つた
重い科《とが》ゆゑ死んだ人、
その思出《おもひで》のかなしさか。
いいえ、それではありませぬ。
生れ故郷に来《き》は来《き》たが、
親の無い身は巡礼の
さびしい気持になりました。


    自覚

「わたしは死ぬ気」とつい言つて、
その驚いた、青ざめた、
慄《ふる》へた男を見た日から、
わたしは死ぬ気が無くなつた。
まことを云《い》へば其《その》日から
わたしの世界を知りました。


    約束

いつも男はおどおどと
わたしの言葉に答へかね、
いつも男は酔《ゑ》つた振《ふり》。
あの見え透《す》いた酔《ゑ》つた振《ふり》。
「あなた、初めの約束の
塔から手を取つて跳びませう。」


    涼夜《りやうや》

場末《ばずゑ》の寄席《よせ》のさびしさは
夏の夜《よ》ながら秋げしき。
枯れた蓬《よもぎ》の細茎《ほそぐき》を
風の吹くよな三味線《しやみせん》に
曲弾《きよくびき》の音《ね》のはらはらと
螽斯《ばつた》の雨が降りかかる。
寄席《よせ》の手前の枳殻垣《きこくがき》、
わたしは一人《ひとり》、灯《ひ》の暗い、
狭い湯殿で湯をつかひ、
髪を洗へば夜《よ》が更ける。


    渋谷にて

こきむらさきの杜若《かきつばた》
採《と》ろと水際《みぎは》につくばんで
濡《ぬ》れた袂《たもと》をしぼる身は、
ふと小娘《こむすめ》の気に返る。
男の机に倚《よ》り掛り、
男の遣《つか》ふペンを執《と》り、
男のするよに字を書けば、
また初恋の気に返る。


    浜なでしこ

逗子《づし》の旅からはるばると
浜なでしこをありがたう。
髪に挿せとのことながら、
避暑地の浜の遊びをば
知らぬわたしが挿したなら、
真黒《まつくろ》に焦げて枯れませう。
ゆるい斜面をほろほろと
踏めば崩れる砂山に、
水著《みづぎ》すがたの脛白《はぎじろ》と
なでしこを摘む楽しさは
女のわたしの知らぬこと。
浜なでしこをありがたう。


    恋

むかしの恋の気の長さ、
のんべんくだりと日を重ね、
互《たがひ》にくどくど云《い》ひ交《かは》す。

当世《たうせい》の恋のはげしさよ、
常《つね》は素知《そし》らぬ振《ふり》ながら、
刹那《せつな》に胸の張りつめて
しやうも、やうも無い日には、
マグネシユウムを焚《た》くやうに、
機関の湯気の漏るやうに、
悲鳴を上げて身もだえて
あの白鳥《はくてう》が死ぬやうに。


    夏の宵

いたましく、いたましく、
流行《はやり》の風《かぜ》に三人《みたり》まで
我児《わがこ》ぞ病める。
梅霖《つゆ》の雨しとどと降るに、汗流れ、
こんこんと、苦しき喉《のど》に咳《せき》するよ。
兄なるは身を焼く※[#「執/れっか」、100−上−6]《ねつ》に父を呼び、
泣きむづかるを、その父が
抱《いだ》きすかして、売薬の
安知歇林《アンチピリン》を飲ませども、
咳《せき》しつつ、半《なかば》ゑづきぬ[#「ゑづきぬ」は底本では「えづきぬ」]。
あはれ、此夜《このよ》のむし暑さ、
氷ぶくろを取りかへて、
団扇《うちは》とり児等《こら》を扇《あふ》げば、
蚊帳《かや》ごしに蚊のむれぞ鳴く。


    如何に若き男

如何《いか》に若き男、
ダイヤの玉《たま》を百持てこ。
空手《むなで》しながら採《と》り得《う》べき
物とや思ふ、あはれ愚かに。
たをやめの、たをやめの紅《あか》きくちびる。


    男

男こそ慰めはあれ、
おほぎみの側《そば》にも在りぬ、
みいくさに出《い》でても行《ゆ》きぬ、
酒《さか》ほがひ、夜通《よどほ》し遊び、
腹|立《だ》ちて罵《のゝし》りかはす。
男こそ慰めはあれ、
少女《をとめ》らに己《おの》が名を告《の》り、
厭《あ》きぬれば棄《す》てて惜《をし》まず。


    夢

わが見るは人の身なれば、
死の夢を、沙漠《さばく》のなかの
青ざめし月のごとくに。
また見るは、女にしあれば
消し難《がた》き世のなかの夢。


    男の胸

名工《めいこう》のきたへし刀
一尺に満たぬ短き、
するどさを我は思ひぬ。
あるときは異国人《とつくにびと》の
三角の尖《さき》あるメスを
われ得《え》まく切《せち》に願ひぬ。
いと憎き男の胸に
利《と》き白刄《しらは》あてなん刹那《せつな》、
たらたらと我袖《わがそで》にさへ
指にさへ散るべき、紅《あか》き
血を思ひ、我《わ》れほくそ笑《ゑ》み、
こころよく身さへ慄《ふる》ふよ。
その時か、にくき男の
云《い》ひがたき心|宥《ゆる》さめ。
しかは云《い》へ、
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