掠奪者

大百貨店の売出《うりだ》しは
どの女の心をも誘惑《そそ》る、
祭よりも祝《いはひ》よりも誘惑《そそ》る。
一生涯、異性に心引かれぬ女はある、
子を生まうとしない女はある、
芝居を、音楽を、
茶を、小説を、歌を好まぬ女はある。
凡《おほよ》そ何処《どこ》にあらう、
三越《みつこし》と白木屋《しろきや》の売出《うりだ》しと聞いて、
胸を跳《をど》らさない女が、
俄《には》かに誇大妄想家とならない女が。……
その刹那《せつな》、女は皆、
(たとへ半反《はんたん》のモスリンを買ふため、
躊躇《ちうちよ》して、見切場《みきりば》に
半日《はんにち》を費《つひや》す身分の女とても、)
その気分は貴女《きぢよ》である、
人の中の孔雀《くじやく》である。
わたしは此《こ》の華やかな気分を好く。
早く神を撥無《はつむ》したわたしも、
美の前には、つつましい
永久の信者である。

けれども、近頃《ちかごろ》、
わたしに大きな不安と
深い恐怖とが感ぜられる。
わたしの興奮は直《す》ぐに覚め、
わたしの狂※[#「執/れっか」、290−上−13]《きやうねつ》は直《す》ぐに冷えて行《ゆ》く。
一瞬の後《のち》に、わたしは屹度《きつと》、
「馬鹿《ばか》な亜弗利加《アフリカ》の僭王《せんわう》よ」
かう云《い》つて、わたし自身を叱《しか》り、
さうして赤面し、
はげしく良心的に苦《くるし》む。

大百貨店の閾《しきゐ》を跨《また》ぐ女に
掠奪者でない女があらうか。
掠奪者、この名は怖《おそ》ろしい、
しかし、この名に値する生活を
実行して愧《は》ぢぬ者は、
ああ、世界無数の女ではないか。
(その女の一人《ひとり》にわたしがゐる。)
女は父の、兄の、弟の、
良人《をつと》の、あらゆる男子の、
知識と情※[#「執/れっか」、290−下−14]《じやうねつ》と血と汗とを集めた
労働の結果である財力を奪つて
我物《わがもの》の如《ごと》くに振舞つてゐる。
一掛《ひとかけ》の廉《やす》半襟を買ふ金《かね》とても
女自身の正当な所有では無い。
女が呉服屋へ、化粧品屋へ、
貴金属商へ支払ふ
あの莫大《ばくだい》な額の金《かね》は
すべて男子から搾取するのである。

女よ、
(その女の一人《ひとり》にわたしがゐる、)
無智、無能、無反省なお前に
男子からそんなに法外な報酬を受ける
立派な理由が何処《どこ》にあるか。
お前は娘として
その華麗な服装に匹敵する
どんなに気高《けだか》い愛を持ち、
どんなに聡明《そうめい》な思想を持つて、
世界の青年男子に尊敬され得《う》るか。
お前は妻として
どれだけ良人《をつと》の職業を理解し、
どれだけ其《そ》れを助成したか。
お前は良人《をつと》の伴侶《はんりよ》として
対等に何《なん》の問題を語り得《う》るか。
お前は一日の糧《かて》を買ふ代《しろ》をさへ
自分の勤労で酬《むく》いられた事があるか。
お前は母として
自分の子供に何《なに》を教へたか。
お前からでなくては与へられない程の
立派な精神的な何物《なにもの》かを
少しでも自分の子供に吹き込んだか。
お前は第一母たる真の責任を知つてゐるか。

ああ、わたしは是《こ》れを考へる、
さうして戦慄《せんりつ》する。
憎むべく、咀《のろ》ふべく、憐《あはれ》むべく、
愧《は》づべき女よ、わたし自身よ、
女は掠奪者、その遊惰性《いうだせい》と
依頼性とのために、
父、兄弟、良人《をつと》の力を盗み、
可愛《かは》いい我子《わがこ》の肉をさへ食《は》むのである。

わたしは三越《みつこし》や白木屋《しろきや》の中の
華やかな光景を好く。
わたしは不安も恐怖も無しに
再び「美」の神を愛したいと願ふ。
しかし、それは勇気を要する。
わたしは男に依《よ》る寄生状態から脱して、
わたしの魂《たましひ》と両手を
わたし自身の血で浄《きよ》めた後《のち》である。
わたしは先《ま》づ働かう、
わたしは一切の女に裏切る、
わたしは掠奪者の名から脱《のが》れよう。

女よ、わたし自身よ、
お前は一村《いつそん》、一市、一国の文化に
直接なにの貢献があるか。
大百貨店の売出《うりだ》しに
お前は特権ある者の如《ごと》く、
その矮《ひく》い、蒼白《そうはく》なからだを、
最上最貴の
有勲者《いうくんしや》として飾らうとする。
ああ、男の法外な寛容、
ああ、女の法外な僭越《せんえつ》。
[#地から4字上げ](一九一八年作)


    冷たい夕飯

ああ、ああ、どうなつて行《い》くのでせう、
智慧も工夫も尽きました。
それが僅《わづ》かなおあしでありながら、
融通の附《つ》かないと云《い》ふことが
こんなに大きく私達を苦《くるし》めます。
正《たゞ》しく受取る物が
本屋の不景気から受取れずに、
幾月《いくつき》も苦しい遣繰《やりくり》や
恥を忘れた借りを重ねて、
ああ、たうとう行《ゆ》きづまりました。

人は私達の表面《うはべ》を見て、
くらしむきが下手《へた》だと云《い》ふでせう。
もちろん、下手《へた》に違ひありません、
でも、これ以上に働くことが
私達に出来るでせうか。
また働きに対する報酬の齟齬《そご》を
これ以下に忍ばねばならないと云《い》ふことが
怖《おそ》ろしい禍《わざはひ》でないでせうか。
少なくとも、私達の大勢の家族が
避け得られることでせうか。

今日《けふ》は勿論《もちろん》家賃を払ひませなんだ、
その外《ほか》の払ひには
二月《ふたつき》まへ、三月《みつき》まへからの借りが
義理わるく溜《たま》つてゐるのです。
それを延ばす言葉も
今までは当てがあつて云《い》つたことが
已《や》むを得ず嘘《うそ》になつたのでした。
しかし、今日《けふ》こそは、
嘘《うそ》になると知つて嘘《うそ》を云《い》ひました。
どうして、ほんたうの事が云《い》はれませう。

何《なに》も知らない子供達は
今日《けふ》の天長節を喜んでゐました。
中にも光《ひかる》は
明日《あす》の自分の誕生日を
毎年《まいとし》のやうに、気持よく、
弟や妹達と祝ふ積《つも》りでゐます。
子供達のみづみづしい顔を
二つのちやぶ台の四方《しはう》に見ながら、
ああ、私達ふたおやは
冷たい夕飯《ゆふはん》を頂きました。

もう私達は顛覆《てんぷく》するでせう、
隠して来たぼろを出すでせう、
体裁を云《い》つてゐられないでせう、
ほんたうに親子拾何人が餓《かつ》ゑるでせう。
全《まつた》くです、私達を
再び立て直す日が来ました。
恥と[#「恥と」は底本では「耻と」]、自殺と、狂気とにすれすれになつて、
私達を試みる
赤裸裸の、極寒《ごくかん》の、
氷のなかの日が来ました。
[#地から4字上げ](一九一七年十二月作)


    真珠貝

真珠の貝は常に泣く。
人こそ知らね、大海《おほうみ》は
風吹かぬ日も浪《なみ》立てば、
浪《なみ》に揺られて貝の身の
処《ところ》さだめず伏しまろび、
千尋《ちひろ》の底に常に泣く。

まして、たまたま目に見えぬ
小さき砂の貝に入《い》り
浪《なみ》に揺らるる度《たび》ごとに
敏《さと》く優《やさ》しき身を刺せば、
避くる由《よし》なき苦しさに
貝は悶《もだ》えて常に泣く。

忍びて泣けど、折折《をりをり》に
涙は身よりにじみ出《い》で、
貝に籠《こも》れる一点の
小さき砂をうるほせば、
清く切なきその涙
はかなき砂を掩《おほ》ひつつ、
日ごとに玉《たま》と変れども、
貝は転《まろ》びて常に泣く。

東に昇る「あけぼの」は
その温《あたたか》き薔薇《ばら》色を、
夜《よる》行《ゆ》く月は水色を、
虹《にじ》は不思議の輝きを、
ともに空より投げかけて、
砂は真珠となりゆけど、
それとも知らず、貝の身は
浪《なみ》に揺られて常に泣く。


    浪のうねり

島の沖なる群青《ぐんじやう》の
とろりとしたる海の色、
ゆるいうねりが間《ま》を置いて
大きな梭《をさ》を振る度《たび》に
釣船一つ、まろまろと
盥《たらひ》のやうに高くなり、
また傾きて低くなり、
空と水とに浮き遊ぶ。
君と住む身も此《こ》れに似て
ひろびろとした愛なれば、
悲しきことも嬉《うれ》しきも
唯《た》だ永き日の波ぞかし。


    夏の歌

あはれ、快きは夏なり。
万年の酒男《さかをとこ》太陽は
一時《ひととき》にその酒倉《さかぐら》を開《あ》けて、
光と、※[#「執/れっか」、297−上−1]《ねつ》と、芳香《はうかう》と、
七色《なないろ》との、
巨大なる罎《ブタイユ》の前に
人を引く。

あはれ、快きは夏なり。
人皆ギリシヤの古《いにしへ》の如《ごと》く
うすき衣《きぬ》[#ルビの「きぬ」は底本では「ぎぬ」]を著《つ》け、
はた生れながらの
裸となりて、
飽くまでも、湯の如《ごと》く、
光明《くわうみやう》歓喜《くわんぎ》の酒を浴ぶ。

あはれ、快きは夏なり。
人皆太陽に酔《ゑ》へる時、
忽《たちま》ち前に裂くるは
夕立のシトロン。
さて夜《よる》となれば、
金属質の涼風《すゞかぜ》と
水晶の月、夢を揺《ゆす》る。


    五月の歌

ああ五月《ごぐわつ》、我等の世界は
太陽と、花と、麦の穂と、
瑠璃《るり》の空とをもて飾られ、
空気は酒室《さかむろ》の呼吸《いき》の如《ごと》く甘く、
光は孔雀《くじやく》の羽《はね》の如《ごと》く緑金《りよくこん》なり。
ああ五月《ごぐわつ》、万物は一新す、
竹の子も地を破り、
どくだみの花も蝶《てふ》を呼び、
蜂《はち》も卵を産む。
かかる時に、母の胎を出《い》でて
清く勇ましき初声《うぶごゑ》を揚ぐる児《こ》、
抱寝《だきね》して、其児《そのこ》に
初めて人間のマナを飲まする母、
はげしき※[#「執/れっか」、298−上−7]愛《ねつあい》の中に手を執《と》る
婚莚《こんえん》の夜《よ》の若き二人《ふたり》、
若葉に露の置く如《ごと》く額《ひたひ》に汗して、
桑を摘み、麻を織る里人《さとびと》、
共に何《なに》たる景福《けいふく》の人人《ひとびと》ぞ。
たとひ此《この》日、欧洲の戦場に立ちて、
鉄と火の前に、
大悪《だいあく》非道の犠牲とならん勇士も、
また無料宿泊所の壁に凭《よ》りて
明日《あす》の朝飯《あさはん》の代《しろ》を持たぬ無職者も、
ああ五月《ごぐわつ》、此《この》月に遇《あ》へることは
如何《いか》に力満ちたる実感の生《せい》ならまし。


    ロダン夫人の賜へる花束

とある一つの抽斗《ひきだし》を開きて、
旅の記念の絵葉書をまさぐれば、
その下より巴里《パリイ》の新聞に包みたる
色褪《いろあ》せし花束は現れぬ。
おお、ロダン先生の庭の薔薇《ばら》のいろいろ……
我等|二人《ふたり》はその日を如何《いか》で忘れん、
白髪《しらが》まじれる金髪の老|貴女《きぢよ》、
濶《ひろ》き梔花色《くちなしいろ》の上衣《うはぎ》を被《はお》りたる、
けだかくも優《やさ》しきロダン夫人は、
みづから庭に下《お》りて、
露おく中に摘みたまひ、
我をかき抱《いだ》きつつ是《こ》れを取らせ給《たま》ひき。

花束よ、尊《たふと》く、なつかしき花束よ、
其《その》日の幸ひは猶《なほ》我等が心に新しきを、
纔《わづか》に三年の時は
無残にも、汝《そなた》を
埃及《エヂプト》のミイラに巻ける
五千年|前《ぜん》の朽ちし布の
すさまじき茶褐色に等しからしむ。

われは良人《をつと》を呼びて、
曾《かつ》て其《その》日の帰路《きろ》、
夫人が我等を載せて送らせ給《たま》ひし
ロダン先生の馬車の上にて、
今|一人《ひとり》の友と三人《みたり》
感激の中に嗅《か》ぎ合ひし如《ごと》く、
額《ぬか》を寄せて嗅《か》がんとすれば、
花は臨終《いまは》の人の歎く如《ごと》く、
つと仄《ほの》かなる香《にほひ》を立てながら、
二人《ふたり》の手の上に
さながら焦げたる紙の如《ごと》く、
あはれ、悲し、
ほろほろと砕け散りぬ。

おお、われは斯《か》かる時、
必ず冷《ひや》やかにあり難
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