《がた》し、
我等が歓楽も今は
此《この》花と共に空《むな》しくやなるらん。
許したまへ、
涙を拭《ぬぐ》ふを。

良人《をつと》は云《い》ひぬ、
「わが庭の薔薇《ばら》の下《もと》に
この花の灰を撒《ま》けよ、
日本の土が
是《これ》に由《よ》りて浄《きよ》まるは
印度《いんど》の古き仏の牙《きば》を
教徒の齎《もたら》せるに勝《まさ》らん。」


    暑き日の午前

暑し、暑し、
曇りたる日の温気《うんき》は
油《あぶら》障子の中にある如《ごと》し。
狭き書斎に陳《の》べたる
十鉢《とはち》の朝顔の花は
早くも我に先立ちて※[#「執/れっか」、300−下−4]《ねつ》を感じ、
友禅の小切《こぎれ》の
濡《ぬ》れて撓《たわ》める如《ごと》く、
また、書きさして裂きて丸《まろ》めし
或《ある》時の恋の反古《ほご》の如《ごと》く、
はかなく、いたましく、
みすぼらしく打萎《うちしを》れぬ。
暑し、暑し、
机の蔭《かげ》よりは
小《ちひさ》く憎き吸血魔
藪蚊《やぶか》こそ現れて、
膝《ひざ》を、足を、刺し初む。
されど、アウギユストは元気にて
彼方《かなた》の縁に水鉄砲を弄《いぢ》り、
健《けん》はすやすやと
枕蚊帳《まくらかや》の中に眠れり。
この隙《すき》に、君よ、
筆を擱《お》きて、
浴びたまはずや、水を。
たた、たたと落つる
水道の水は細けれど、
その水音《みづおと》に、昨日《きのふ》、
ふと我は偲《しの》びき、
サン・クルウの森の噴水。


    隠れ蓑

わたしの庭の「かくれみの」
常緑樹《ときはぎ》ながらいたましや、
時も時とて、茱萸《ぐみ》[#ルビの「ぐみ」は底本では「ぐ」]にさへ、
枳殻《からたち》にさへ花の咲く
夏の初めにいたましや、
みどりの枝のそこかしこ、
たまたまひと葉《は》二葉《ふたは》づつ
日毎《ひごと》に目立つ濃い鬱金《うこん》、
若い白髪《しらが》を見るやうに
染めて落ちるがいたましや。
わたしの庭の「かくれみの、」
見れば泣かれる「かくれみの。」


    夜の机

西洋|蝋燭《らふそく》の大理石よりも白きを硝子《がらす》の鉢に燃《もや》し、
夜更《よふ》くるまで黒檀《こくたん》の卓に物書けば幸福《しあはせ》多きかな。
あはれこの梔花色《くちなしいろ》の明りこそ
咲く花の如《ごと》き命を包む想像の狭霧《さぎり》なれ。

これを思へば昼は詩人の領《りやう》ならず、
天《あま》つ日は詩人の光ならず、
蓋《けだ》し阿弗利加《アフリカ》を沙漠《さばく》にしたる悪《あ》しき※[#「執/れっか」、302−上−7]《ねつ》の気息《いき》のみ。

うれしきは夢と幻惑と暗示とに富める白蝋《はくらふ》の明り。
この明りの中に五感と頭脳とを越え、
全身をもて嗅《か》ぎ、触れ、知る刹那《せつな》――
一切と個性とのいみじき調和、
理想の実現せらるる刹那《せつな》は来《きた》り、
ニイチエの「夜《よる》の歌」の中なる「総《すべ》ての泉」の如《ごと》く、
わが歌は盛高《もりだか》になみなみと迸《ほとばし》る。


    きちがひ茄子

とん、とん、とんと足拍子、
洞《ほら》を踏むよな足拍子、
つい嬉《うれ》しさに、秋の日の
長い廊下を走つたが、
何処《どこ》をどう行《ゆ》き、どう探し、
何《ど》うして採《と》つたか覚えねど、
わたしの袂《たもと》に入《はひ》つてた
きちがひ茄子《なす》と笑ひ茸《たけ》。
わたしは夢を見てゐるか、
もう気ちがひになつたのか、
あれ、あれ、世界が火になつた。
何処《どこ》かで人の笑ふ声。


    花子の歌四章(童謡)

    九官鳥
九官鳥はいつの間《ま》に
誰《だれ》が教へて覚えたか、
わたしの名をばはつきりと
優しい声で「花子さん。」

「何《なに》か御用」と問うたれば、
九官鳥の憎らしや、
聞かぬ振《ふり》して、間《ま》を置いて、
「ちりん、ちりん」と電鈴《ベル》の真似《まね》。

「もう知らない」と行《ゆ》きかけて
わたしが云《い》へば、後ろから、
九官鳥のおどけ者、
「困る、困る」と高い声。


    薔薇と花子
花子の庭の薔薇《ばら》の花、
花子の植ゑた薔薇《ばら》なれば
ほんによう似た花が咲く。
色は花子の頬《ほ》の色に、
花は花子のくちびるに、
ほんによう似た薔薇《ばら》の花。

花子の庭の薔薇《ばら》の花、
花が可愛《かは》いと、太陽も
黄金《きん》の油を振撒《ふりま》けば、
花が可愛《かは》いと、そよ風も
人目に見えぬ波形《なみがた》の
薄い透綾《すきや》を著《き》せに来る。

側《そば》で花子の歌ふ日は
薔薇《ばら》も香りの気息《いき》をして
花子のやうな声を出し、
側《そば》で花子の踊る日は
薔薇《ばら》もそよろと身を揺《ゆす》り
花子のやうな振《ふり》をする。

そして花子の留守の日は
涙をためた目を伏せて、
じつと俯《うつ》向く薔薇《ばら》の花。
花の心のしをらしや、
それも花子に生き写し。
花子の庭の薔薇《ばら》の花。


    花子の熊
雪がしとしと降つてきた。
玩具《おもちや》の熊《くま》を抱きながら、
小さい花子は縁に出た。

山に生れた熊《くま》の子は
雪の降るのが好きであろ、
雪を見せよと縁に出た。

熊《くま》は冷たい雪よりも、
抱いた花子の温かい
優しい胸を喜んだ。

そして、花子の手の中で、
玩具《おもちや》の熊《くま》はひと寝入り。
雪はますます降り積《つも》る。


    蜻蛉《とんぼ》の歌
汗の流れる七月は
蜻蛉《とんぼ》も夏の休暇《おやすみ》か。
街の子供と同じよに
避暑地の浜の砂に来て
群れつつ薄い袖《そで》を振る。

小《ち》さい花子が昼顔の
花を摘まうと手を出せば、
これをも白い花と見て
蜻蛉《とんぼ》が一つ指先へ
ついと気軽に降りて来た。

思はぬ事の嬉《うれ》しさに
花子の胸は轟《とゞろ》いた。
今|美《うつ》くしい羽《はね》のある
小《ち》さい天使がじつとして
花子の指に止まつてる。


    手の上の花

鴨頭草《つきくさ》の花、手に載せて
見れば涼しい空色の
花の瞳《ひとみ》がさし覗《のぞ》く、
わたしの胸の寂《さび》しさを。

鴨頭草《つきくさ》の花、空色の
花の瞳《ひとみ》のうるむのは、
暗い心を見|透《とほ》して、
わたしのために歎くのか。

鴨頭草《つきくさ》の花、しばらくは
手にした花を捨てかねる。
土となるべき友ながら、
我も惜《をし》めば花も惜し。

鴨頭草《つきくさ》の花、夜《よ》となれば、
ほんにそなたは星の花、
わたしの指を枝として
しづかに銀の火を点《とも》す。


    一隅《いちぐう》にて

われは在り、片隅に。
或《ある》時は眠げにて、
或《ある》時は病める如《ごと》く、
或《ある》時は苦笑を忍びながら、
或《ある》時は鉄の枷《かせ》の
わが足にある如《ごと》く、
或《ある》時は飢ゑて
みづからの指を嘗《な》めつつ、
或《ある》時は涙の壺《つぼ》を覗《のぞ》き、
或《ある》時は青玉《せいぎよく》の
古き磬《けい》を打ち、
或《ある》時は臨終の
白鳥《はくてう》を見守り、
或《ある》時は指を挙げて
空に歌を書きつつ………
寂《さび》し、いと寂《さび》し、
われはあり、片隅に。


    午前三時の鐘

上野の鐘が鳴る。
午前三時、
しんしんと更けわたる
十一月の初めの或夜《あるよる》に、
東京の街の矮《ひく》い屋根を越えて、
上野の鐘が鳴る。
この声だ、
日本人の心の声は。
この声を聞くと
日本人の心は皆おちつく、
皆静かになる、
皆|自力《じりき》を麻痺《まひ》して
他力《たりき》の信徒に変る。
上野の鐘が鳴る。
わたしは今、ちよいと
痙攣《けいれん》的な反抗が込み上げる。
けれど、わたしの内にある
祖先の血の弱さよ、はかなさよ、
明方《あけがた》の霜の置く
木の箱の家《いへ》の中で、
わたしは鐘の声を聞きながら、
じつと滅入《めい》つて
筆の手を休める。
上野の鐘が鳴る。


    或日の寂しさ

門《かど》に立つのは
うその苦学生、
うその廃兵、
うその主義者、志士、
馬車、自動車に乗るのは
うその紳士、大臣、
うその貴婦人、レディイ、
それから、新聞を見れば
うその裁判、
うその結婚、
さうして、うその教育。
浮世|小路《こうぢ》は繁《しげ》けれど、
ついぞ真《まこと》に行《ゆ》き遇《あ》はぬ。

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 今年|畏《かしこ》くも御《ご》即位の大典を挙げさせ給《たま》ふ拾一月の一日《いちじつ》に、此《この》集の校正を終りぬ。読み返し行《ゆ》くに、愧《はづ》かしきことのみ多き心の跡なれば、昭《あき》らかに和《やは》らぎたる新《あら》た代《よ》の御光《みひかり》の下《もと》には、ひときは出《い》だし苦《ぐる》しき心地ぞする。晶子
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晶子詩篇全集 終


底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社
   1929(昭和4)年1月20日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※底本の総ルビをパララルビに変更しました。被ルビ文字の選定に当たっては、以下の方針で対処しました。
(1)「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」講談社(1980(昭55)年8月10日、1980(昭55)年12月10日)で採用されたものは付す。
(2)常用漢字表に記載されていない漢字、音訓等については原則として付す。
(3)読みにくいもの、読み誤りやすいものは付す。
底本では採用していない、表題へのルビ付けも避けませんでした。
※ルビ文字は原則として、底本に拠りました。底本のルビ付けに誤りが疑われる際は、以下の方針で対処しました。
(1)単純な脱字、欠字は修正して、注記しない。
(2)誤りは修正して注記する。
(3)旧仮名遣いの誤りは、修正して注記する。
(4)晶子の意図的な表記とするべきか誤りとするべきか判断の付かないものは、「ママ」と注記する。
(5)当該のルビが、総ルビのはずの底本で欠けていた場合にも、その旨は注記しない。
※疑わしい表記の一部は、「定本 與謝野晶子全集 第九、十巻」を参考にしてあらため、底本の形を、当該箇所に注記しました。
※各詩編表題の字下げは、4字分に統一しました。
※各詩編の行の折り返しは、底本では1字下げになっています。
※目次における「篇」と扉における「章」の異同は、底本通りにしました。
※「暗殺酒舗」と「暗殺酒鋪」の混在は、底本通りにしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号1−5−86)を、大振りにつくっています。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
ファイル作成:
2004年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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