水晶質となるやうに、
しみじみ清く濡《ぬ》れとほる。

[#1行アキは底本ではなし]厨《くりや》へ行つて水道の
栓をねぢれば、たた、たたと
思ひ余つた胸のよに、
バケツへ落ちて盛り上がる
心《こゝろ》丈夫な水音も、

わたしの立つた板敷へ
裏口の戸の間《あひだ》から
新聞くばりがばつさりと
投げこんで行《ゆ》く物音も、
薄暗がりにここちよや。


    蝉

蝉《せみ》が啼《な》く。
燻《いぶ》るよに、じじと一つ、
わたしの家《いへ》の桐《きり》の木に。

その音《ね》につれて、そこ、かしこ、
蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、
いろんな蝉《せみ》が啼《な》き出した。

わたしの家《いへ》の蝉《せみ》の音《ね》が
最初の口火、
いま山の手の番町《ばんちやう》の
どの庭、どの木、どの屋根も
七月の真赤《まつか》な吐息の火に焦《こ》げる。

枝にも、葉にも、瓦《かはら》にも、
軒《のき》にも、戸にも、簾《すだれ》にも、
流れるやうな朱《しゆ》を注《さ》した
光のなかで蝉《せみ》が啼《な》く。

無駄と知らずに、根気よく、
砂を握《つか》んでずらす蝉《せみ》。

鍋《なべ》の
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