ほゝゑ》みて、
いつまでも童顔、
年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども。
年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども、
若き人、
みづみづしき人、
初秋《はつあき》の陽光を全身に受けて、
人生の真紅《しんく》の木《こ》の実
そのものと見ゆる人。
友は何処《いづこ》に行《い》く、
猶《なほ》も猶《なほ》も高きへ、広きへ、
胸張りて、踏みしめて行《い》く。
われはその足音に聞き入《い》り、
その行方《ゆくへ》を見守る。
科学者にして詩人、
他《た》に幾倍する友の欲の
重《おも》りかに華やげるかな。
同じ世に生れて
相知れること二十年、
友の見る世界の片端に
我も曾《かつ》て触れにき。
さは云《い》へど、今はわれ
今はわれ漸《やうや》くに寂《さび》し。
譬《たと》ふれば我心《わがこゝろ》は
薄墨いろの桜、
唯《た》だ時として
雛罌粟《ひなげし》の夢を見るのみ。
羨《うらや》まし、
友は童顔、
いつまでも童顔、
今日《けふ》逢《あ》へば、いみじき
気高《けだか》ささへも添ひ給《たま》へる。
母ごころ
金糸雀《カナリア》の雛《ひな》を飼ふよりは
我子《わがこ》を飼ふぞおもしろき。
雛《ひな》の初毛《うぶげ》はみすぼらし、
おぼつかなしや、足取《あしどり》も。
盥《たらひ》のなかに湯浴《ゆあ》みする
よき肉づきの生みの児《こ》の
白き裸を見るときは、
母の心を引立たす。
手足も、胴も、面《おも》ざしも
汝《な》を飼ふ親に似たるこそ、
かの異類なる金糸雀《カナリヤ》の
雛《ひな》にまさりて親しけれ。
かくて、いつしか親の如《ごと》、
物を思はれ、物|云《い》はん。
詩人、琴弾《ことひき》、医師、学者、
王、将軍にならずとも、
大船《おほふね》の火夫《くわふ》、いさなとり、
乃至《ないし》活字を拾ふとも、
我は我子《わがこ》をはぐくまん、
金糸雀《カナリヤ》の雛《ひな》を飼ふよりは。
[#地から4字上げ](一九〇一年作)
我子等よ
いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
世に生れしは禍《わざはひ》か、
誰《たれ》か之《これ》を「否《いな》」と云《い》はん。
されど、また君達は知れかし、
之《これ》がために、我等――親も、子も――
一切の因襲を超えて、
自由と愛に生き得《う》ることを、
みづからの力に由《よ》りて、
新らしき世界を
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