惑に沈み入《い》る
烏羽玉《うはたま》の黒き薔薇《ばら》。
×
薔薇《ばら》がこぼれる。
ほろりと、秋の真昼、
緑の四角な瓶《かめ》から
卓の上へ静かにこぼれる。
泡のやうな塊《かたまり》、
月の光のやうな線、
ラフワエルの花神《フロラ》の絵の肉色《にくいろ》。
つつましやかな薔薇《ばら》は
散る日にも悲しみを秘めて、
修道院の壁に凭《よ》る
尼達のやうには青ざめず、
清く貴《あて》やかな処女の
高い、温かい寂《さび》しさと、
みづから抑《おさ》へかねた妙香《めうかう》の
金色《こんじき》をした雰囲気《アトモスフエエル》との中に、
わたしの書斎を浸してゐる。
×
まあ華やかな、
けだかい、燃え輝いた、
咲きの盛りの五月《ごぐわつ》の薔薇《ばら》。
どうして来てくれたの、
このみすぼらしい部屋へ、
この疵《きず》だらけの卓《テエブル》の上へ、
薔薇《ばら》よ、そなたは
どんな貴女《きぢよ》の飾りにも、
どんな美しい恋人の贈物にも、
ふさはしい最上の花である。
もう若さの去つた、
そして平凡な月並の苦労をしてゐる、
哀れな忙《せは》しい私が
どうして、そなたの友であらう。
人間の花季《はなどき》は短い、
そなたを見て、私は
今ひしひしと是《こ》れを感じる。
でも、薔薇《ばら》よ、
私は窓掛を引いて、
そなたを陰影《かげ》の中に置く。
それは、あの太陽に
そなたを奪はせないためだ、
猶《なほ》、自分を守るやうに、
そなたを守りたいためだ。
牡丹の歌
おお、真赤《まつか》なる神秘の花、
天啓の花、牡丹《ぼたん》。
ひとり地上にありて
かの太陽の心を知れる花、牡丹《ぼたん》。
愛の花、※[#「執/れっか」、176−上−8]《ねつ》の花、
幻想の花、焔《ほのほ》の花、牡丹《ぼたん》。
コンテツス・ド・ノワイユを、
ルノワアルを、梅蘭芳《メイランフワン》を、
梅原|龍三郎《りようざぶらう》を連想する花、牡丹《ぼたん》。
おお、そなたは、また、
宇宙の不思議に酔《ゑ》へる哲人の
大歓喜《だいくわんぎ》を示す記号《アンブレエム》、牡丹《ぼたん》。
また詩人が常に建つる
※[#「執/れっか」、176−下−5]情《ねつじやう》の宝楼《はうろう》の
柱頭《ちゆうとう》[#ルビの「ちゆうとう」は底本では「ちうとう」]を飾る火焔模様、牡丹《ぼたん》。
また、青春
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