今日《けふ》、わが家《いへ》には
どの室《しつ》にも薔薇《ばら》あり。
我等は生きぬ、
香味《かうみ》と、色と、
春と、愛と、
光との中に。
なつかしき博士《はかせ》夫人、
その花園《はなぞの》の薔薇《ばら》を、
朝露《あさつゆ》の中に摘みて、
かくこそ豊かに
贈りたまひつれ。
どの室《しつ》にも薔薇《ばら》あり。
同じ都に住みつつ、
我は未《いま》だその君を
まのあたり見ざれど、
匂《にほ》はしき御心《みこころ》の程は知りぬ、
何時《いつ》も、何時《いつ》も、
花を摘みて賜《たま》へば。
×
われは宵より
暁《あかつき》がたまで
書斎にありき。
物書くに筆躍りて
狂ほしくはずむ心は
※[#「執/れっか」、172−下−7]病《ねつびやう》の人に似たりき。
振返れば、
隅なる書架の上に、
博士《はかせ》夫人の賜《たま》へる
焔《ほのほ》の色の薔薇《ばら》ありき。
思はずも、我は
手を伸べて叫びぬ、
「おお、我が待ちし
七つの太陽は其処《そこ》に」と。
×
今朝《けさ》、わが家《いへ》の
どの室《しつ》の薔薇《ばら》も、
皆、唇なり。
春の唇、
本能の唇、
恋人の唇、
詩人の唇、
皆、微笑《ほゝゑ》める唇なり、
皆、歌へる唇なり。
×
あはれ、何《なん》たる、
若やかに、
好色好色《すきずき》しき
微風《そよかぜ》ならん。
青磁の瓶《かめ》の蔭《かげ》に
宵より忍び居て、
この暁《あかつき》、
大輪《たいりん》の薔薇《ばら》の
仄《ほの》かに落ちし
真赤《まつか》なる
一片《ひとひら》の下《もと》に、
あへなくも圧《お》されて、
息を香《か》に代へぬ。
×
瓶毎《かめごと》に
わが侍《かしづ》き護《まも》る
宝玉《はうぎよく》の如《ごと》き
めでたき薔薇《ばら》、
天《あま》つ日の如《ごと》き
盛りの薔薇《ばら》、
恋知らぬ天童《てんどう》の如《ごと》き
清らなる薔薇《ばら》、
これらの花よ、
人間の身の
われ知りぬ、
及び難《がた》しと。
此処《ここ》に
われに親しきは、
肉身の深き底より
已《や》むに已《や》まれず
燃えあがる※[#「執/れっか」、174−上−12]情《ねつじやう》の
其《そ》れにひとしき紅《あか》き薔薇《ばら》、
はた、逸早《いちはや》く
愁《うれひ》を知るや、
青ざめて、
月の光に似たる薔薇《ばら》、
深き疑
前へ
次へ
全125ページ中67ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング