はげしき接吻《くちづけ》を押して、
思はず、きと噛みぬ。
おゝ、今、基督《クリスト》の其れの如く、
わが脈管を伝ひて拡がるは
君が聖なる血の一滴……

汽笛は空気を裂く。
時なり、汽車は動き、
二度と来らぬ旅人の
君は遠く去り行く……
さはれ匂はしき記憶よ、
証《あか》せかし、常に猶、
我が衷《うち》に君の在るを。
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 大正八年


  朝晴雪

ひと夜《よ》明くれば時は春、
おお、めでたくも晴れやかに
天は紺青、地の上は
淡紫と薔薇色を
明るく混ぜた銀の雪、
強き弱きの差別なく
世の争ひを和らげて
まんまろと積む春の雪、
平等の雪、愛の雪。
此処へ東の地平から
黄金《こがね》の色に波打つは、
身を躍らして駈け上《のぼ》る
若い初日の額髪。


  朝晴雪

おお、此処に、
躍りつつ、
歌ひつつ、
急ぐ女の一むれ……
時は朝、
地は雪の原。

急ぐ女の一むれ、
青白き雪の上を
真一文字に北へ向き、
風に逆ふ髪は
後ろに靡きて
大馬の鬣《たてがみ》の如く、
折からの日光を受けて
金色《こんじき》に染まりぬ。

高く前に張れる両手は
確かに掴まんとする
理想の憧れに慄へて
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