し、
美くしき見覚え人よ。
   ○
目に見たる津津浦浦よ、
わが上を、語らむ時にまさりたる、
おもむきなきをいかにしてまし。
   ○
うれしくも、幸と云ふものよりも、
好むところを語らせし、
夜の涙よ。拭ひ筆おく。
   ○
わが心唯ひとたびなりきと云ふ
何を云ふぞよ。かこつのかや。
恋を男を。
   ○
水色の船室に月さし入り、
隣なる、大僧正の飼犬が、
夜寒げに絶えずうめける。
   ○
老の魔がしのびより、鉛をかけぬ。
心に、あらずまづ面わに、髪に、
かなしきかなや三十路。
   ○
男来て導かむと思ひつるかな。
美くしくとも、醜くとも、
そはわれの若ければ、
あなものうし。かかる思ひ出。
   ○
別るるもよしや、うれしかりけり。
口づけを束にして、
環になしてもちかへること。
   ○
うつし世の渦巻の中、
と云ふにあらねども、なけれども、
する息のむづかし。落す涙も。


  〔無題〕

おのれをば殺せと云はむ、
誰に云はむや
十余年添ひたる人か、
いたりあの笛吹の子か。
   ○
男より退きて
地か空か知らず、走せ過ぎる。
驚くべきを見顕《みあら》はさずに。
   ○
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