知恩院の鐘がどんよりと
曇る月夜に鳴る晩は
前の河にも花が散る。

来て寝やしやんせ、三本木。
祇園の夢を見残して
ひとり千鳥を聞く夜さは
しんぞ恋路が悲しかろ。

来て寝やしやんせ、三本木。
あの鳴る鐘は黒谷の
松に涼しい明《あけ》の鐘。
お目が覚めたぢやないかいな。


  〔無題〕

朝顔の花の朝咲いて
まだ午前《ひるまへ》にしぼむとも、
わたしの知つたことで無い。
あなたの恋が尽きたとて、
わたしが何んで泣きませう。
わたしの泣くのはいつも一人で。


  〔無題〕

唯だ「人」と、若しくは「我」とのみ名乗るぞよき。
雑多の形容詞を附け足さんとするは誰ぞ。
大と云ひ、小と云ひ、善と云ひ、悪と云ひ……
そは事を好む子供の所為《わざ》なり。
何物をも附け足さぬはやがて一切を備へし故なるを。


  〔無題〕

行くほどに街は暮れて明るき月夜の海となり、
人は魚の如く跳り、ともし火は波の如く泡立つ。
地に落つる人影にわが影の入りまじる如く、
われは他の遊ぶを遊ぶ。
われは知る。つひに一人なり。


  風邪

十月八日の夜の十二時すぎ、
三人の男女《なんによ》の客を帰したあと、

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