親の家
目にこそ浮べ、ふるさとの
堺の街の角の家、
帳塲づくゑと、水いろの
電気のほや[#「ほや」に傍点]のかがやきと、
店のあちこち積み箱の
かげに居睡る二三人。
この時黒き暖簾《のれん》より
衣ずれもせぬ忍び足
かいま見すなる中の間《ま》の
なでしこ色の帯のぬし、
あな、うら若きわが影は
そとのみ消えて奥寄《あうよ》りぬ。
ほとつく息はいと苦し、
はたいと※[#「執/れっか」、9巻−326−下−4]し、さはいへど
ふた親いますわが家を
捨てむとすなる前の宵
しづかに更くる刻刻の
時計の音ぞ凍りたる。
一番頭と父母と
茶ばなしするを安しと見、
こなたの隅にわが影は、
親を捨つると恋すると
繁き思《おもひ》をする我を
あはれと歎き涙しぬ。
よよとし泣けば鈴《べる》鳴りぬ、
電話の室のくらがりに
つとわが影は馳せ入りて
茶の間を見つつ受話器とる。
すてむとすなるふるさとの
和泉なまりの聞きをさめ。
人の声とは聞きしかど、
ただわがための忘れぬ日
楽しき日のみ作るとて、
なにの用とも誰ぞとも
知らず終りき。明日の日は
長久《とは》に帰らぬ親の家。
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明治四
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