町びとの
目よりまた、除きがたかる、
寂しさの備る銀杏。
うつつにし、見るにもあらず、
この庭に立つにはあらず、
衰へし命の中に、
見ゆるなれ、北の津軽の
黄葉《もみぢ》する大木の銀杏。

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昭和十五年


  死

Aさんの死、
そんなことがと云ひながらも、
否定の出来ない事実であるのを
弁へる心も私は持つてゐた。
人間はいつもこんな風に
運命を従順に受け入れる。
受け入れる外はないからである。
だから死は恐い。
最後の偽善をしようとせぬ限り、
誰れにも恐しくない死はない。
哲人もさうである、
大作家も詩人も、
大僧正も。
Aさんが壇から下り、
急に倒れた時と、
死との間の短い時に
どんな恐しい思ひをしたことか。
死刑前の五分間の長さを、
或る作家は書いてゐる、
短くば短い程、
死を待つ心の苦は長い。
Aさんを悲んで、
死の真際などに語ればさうした、
ことはどうでもよかつた、
と云はれるやうな思ひ出に、
Aさんでなく、生きてゐる私は、
飽くなく浸つてゐる。
Aさんは五十四ではてた。
Nさんと同じ頃、
紅梅町へ来た人である、
Nさんは五十二で去年逝つた。
若さそのものの
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