やうな人、
私はのちのAさんの面影よりも
裄の短い単衣の下に白襟を重ね、
木綿袴を穿いた、丁《よぼろ》の年の
Aさんばかりを目に描いてゐる。
葬式の日に私はまた病んで
娘を代りに出した。
藤子が葬場で聞いて来たことは、
Aさんの死の何時間かまへ、
お茶の卓で他の社員へ托した、
私へのことづてであつた。
身体を大事にして欲しい、
無理を決してせぬことなど、
それから私には今子の誰れが
かしづいてゐるか、
ともAさんは問つたさうである。
その社員は私の隣人であつた。
涙が幾日も流れた、幾日も。
Aさんが云つたやうに、
養生をすべきであらうか、
とばかりも私には思へない、
死は恐いと云つたのであるが。
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昭和十七年
川内幼稚園園歌
西の薩摩の城いくつ
廻ぐりめぐりて大海へ
川内川《せんだいがは》の出でてゆく
姿を下にのぞむ山
神代の樟の群立《むらだ》ちの
影いと深く清らなる
御垣の内を許されて
我れ等は学び我れ等は遊ぶ
戦《いくさ》の後《のち》に大事なは
愛の心と人も知る
愛《え》の御社の大神よ
深き教を垂れ賜ひ
大き興亜の御業に
我れ等も与《あづか》らしめ給へ。
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