ロン》の椅子をいと※[#「執/れっか」、10巻−483−上−1]き、
涙に我れの濡らしてき。

老いたる寡婦の悲みが、
別離の情に誘はれし、
不覚の態と恥ぢたりき、
友の客室の我が涙。

死ぬは期《ご》したることなれば、
重い病になりしとて、
強き心の我が友を、
殊更思ふこともなし。

世のもてなしの礼なさが、
著《あら》はになりて見えし時、
病に障りあらすなと、
惑へる子等を我れは見ぬ。

一年《ひととせ》まへの真夏の日、
旅立つ友に流したる、
涙のこころやうやくに、
悟るを得たり、わが友よ。


  蜜柑の木

朝の光が外にゐて、
さて鎧戸と、窓掛と、
その内側の白い蚊帳、
かうした中に生えてゐる、
蜜柑の若木五六本。
それが私に見えるのだ。
いまだ開かぬ瞼ごし、
まぼろしでなく夢でなく、
昨日の朝も今朝も見る。
香《かぐ》の木の実が生《な》るでなし、
はなたちばなが咲くでなし、
蜜柑の木より榊とも、
樒《しきみ》の木とも云ふ方が、
かなつたやうな若い木で、
穂すすきめいた弓なりの、
四尺ばかりの五六本。
初めの朝に蜜柑だと、
決めて眺めた緑の木。
熊野の浦の浜畑の、
白い沙地と見
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