ああ月よ、
そなた[#「そなた」に傍点]は私を迎へて
かの高きへ引き上げる。
私は今、光る雲の上で、
そなた[#「そなた」に傍点]と遊んでゐる。

[#改ページ]

 昭和九年


  那須に病みて

下つ毛の八溝《やみぞ》の山を
高原《たかはら》の那須より見れば、
いと長く、はた、いと低し。
指さして人教ふらく、
かしここそ陸奥《みちのく》ざかひ、
いにしへの世の作者たち、
遠きをば現はすことに
白河の関を引きつれ、
その里は山の裾なり。
雪の日の斯かるけしきを
端近く出でて望めど、
昨日より病のあれば
いにしへの世も身に沁まず、
今のことはた気疎《けうと》くて、
みづからの目に見るものは、
今少し陸奥よりも、
白河の関よりも猶
遥かにて、雪いと白く、
ひた寒き、この世ならざる
国のさかひぞ。


  楓の芽

やさしい楓の枝、小枝、
今、伸ばしはじめた
紅い新芽、
柿右衛門の手法と
芸術境を
正に此の楓は知つてゐる。

かはいい小鳥の足とても、
こんなに繊細な
美くしさは持つてゐない。
珊瑚の小枝は是れよりも剛《かた》く、
紅い糸状の海草の或物は
是れに似て、併し柔軟に過ぎる。

楓の紅い新芽よ、
そなたのみである、
花と若葉の多いなかに
繊麗深紅の一体を立てて、
そのつつましい心と姿で
四月の太陽を讃めるのは。


  西宮市立高等女学校校歌

自《みづか》ら春の園に入り
花を作るも勇みあり。
況《ま》して自ら楽みて
学ぶ我等の気は揚がる。

この楽しみを共にして、
あまた良き師に導かれ、
ここに学べる朗らかさ、
西宮《にしのみや》なる高女生。

北には六甲、東には
生駒山脈そびえたり。
我等ながめて、永久《とこしへ》の
山の力に励まさる。

大坂湾の大《だい》なるに、
紀淡海峡遠白し。
我等ながめて、おのづから、
内の心を濶くする。

日本の少女《をとめ》いそしむは
古き世からの習ひなり。
我等おのおの身を鍛へ、
常に凜凜しき姿あり。

我等の愛は限り無し、
自然、道徳、学の愛、
家庭、交友、国の愛、
国の内外《うちと》の人の愛。

是等の愛を生かすため、
善を行ひ、智を磨き、
女子の我等も、大御代に
永く至誠の民たらん。

我等は思ふ、御代の恩、
更に師の恩、親の恩。
謝せよ、互に学べるは
高き是等のみなさけぞ。

我等は嫌ふ、軽佻を、
無智を、惰弱を、妄動を。
起れ、聡明、堅実の
清き日本よ、我等より。

ああ、もろともに祝ひなん、
西宮なる高女生、
ここに学びて樹《た》つるなり。
斯かる理想の光る旗。


  市立高岡高等女学校校歌

我等の歌は、もろともに
内の理想の叫びなり。
また、みづからを励まして
呼ばるる声ぞ、いざ歌へ。

平野のかなた、天つ空、
峰を連ぬる立山に
比《よそ》へんばかり、われわれも
明るく高き心あれ。

桜の馬場に花ひかり、
古城公園松|秀《ひい》づ。
やさしき花のわれわれも
身の健やかさ、松に似よ。

婦人の徳の本《もと》として、
愛を養ひ、智を磨き、
善事に励む習はしの
楽しき日をば重ねなん。

ああ、大御代に生れ来て、
われら少女《をとめ》も学ぶなり。
このありがたき幸ひを
空しくせざれ、わが友よ。

互に他をば敬ひて、
ともに自ら重んぜん。
師の君たちの御教《みをしへ》に
いざ、つつましく従はん。

この感激をくり返し、
同じ理想に手をつなぎ、
確かに一歩、また一歩、
勇みて進む朗らかさ。

高岡市立高女生、
これを我等の誇りとす。
凜凜しき今日のよき少女《をとめ》、
輝やく明日の人の母。


  琉球の団扇

ありがたう、琉球の友よ、
送り給へる檳榔の葉の団扇
昨日より我手にあり。
我れは此の形を
陰暦十日の月と見て
那覇の港の夜を思ひ、
なつかしき君が心も
此の風にまじると思へり。
この団扇には柄無し、
大きく手に掴みて取れば
乾隆の詩箋を捧ぐるが如し。
我れは是れを額に載せて眠り
その南島の夢を見ん。


  小鳥の巣

何と云ふ小鳥の巣ならん、
うす赤き幹の
枝三つ斜めして並べるに、
枯れし小枝と、苔と、
すすきの穂とを組みて、
二寸の高さにまろく、
満月の形したり。

巣のある木を
更に上より傘したるは
方三丈の大樹、
などか小鳥は
その黒樺をえらばずして、
きやしやなる幹の
沙羅の枝に住みつらん。

小鳥の巣、
今は既に空ろなり、
ここにて孵《かへ》しし雛と共に
その親鳥の飛び去れるは何処《いづこ》ぞ。
谷の風吹きのぼるたびに
熊笹、山の林の奥にまで浪打ち、
前には遠き連山に八月の雪あり。

小鳥の巣、
幸ひあれよ、
その飛び去れる小鳥らに。
我れもまた今日は旅びと、
恐らく、東京の我が家をも
この巣の如くさし覗きて、
我が旅のために祈る友あらん。


  愛国者

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