冬の日にも自然は歌つてゐる。
裸の木の上には青空、
それがまろく野のはてにまで
お納戸いろを垂れてゐる。
二階へ上がつたら
富士もまつ白に光つてゐよう。
風が少しある、
感じやすい竹が挨拶をしてゐる。
あたたかい室内で
硝子ごしに見ると、
その風も春風のなごやかさである。
苛酷な冬の自然にも
こんな平和な一日がある。
師走の忙しさは嵐の中のやうだ、
それは人間のこと、
自然は今、息を入れて休んでゐる。
霧氷
富士山の上の霧氷、
それを写真で見て喜んでゐる。
美くしいことは解る、
それがどんな[#「どんな」に傍点]に寒い世界の消息かは
登山者以外には解らない。
あなたにわたしの歌が解りますつて、
さうでせうか、さうでせうか。
来客
彼れは感歎家にして慷慨家、
形容詞ばかりで生きてゐる。
また他の一人の彼れは計画家、
建築の経験を持たない製図師。
忙しい師走の半ばに
二人のお相手は出来ない、
わたしは失礼して為事をする。
お客同志でゆつくり[#「ゆつくり」に傍点]とお話し下さい。
暖炉
灯をつけない深夜の室に、
燃え残つたストオヴが深紅に光る。
ストオヴは黙つてゐる。
それを自分の心臓だと見るわたしは
炭をつぎ[#「つぎ」に傍点]足さうかと思ふ。
いや、誰れが手を温《ぬく》める火でもない、
独り此の寂しい深紅を守らう。
或人に
わたしには問はないで下さい、
「あなたの心の故郷《ふるさと》は」なんて
クリスチヤンじみたことを。
誰れが故郷を持つてゐると云ふのです。
みんな漂泊者である日に、
みんな新世界を探してゐる日に、
過去から離れて、みんな
蒙昧を開拓しようとしてゐる日に。
それよりも見せて下さい、
あなたに鶴嘴を上げる力があるか、
一尺の灌漑用の水でも
あなたの足元の沙から出るか。
〔無題〕
ちび筆に線を引きて
半紙に木瓜の枝を写生し、
赤インクにて花を描《か》く。
末の娘、見て笑ふ、
母の木瓜には刺無し。
〔無題〕
同じ免官者でも
急に言葉が荒くなり、
知事や将校は便衣隊に見える。
校長たちの気の毒さ、
番茶で棋を打つてゐる。
屋上
武蔵野の中、
日の入りて後《のち》
屋上の台に昇る。
わが座は今
わが庭の
最も高き梢と並ぶ。
風、かの白き天の川より降るか、
我れを斜めに吹きて
余勢、なほ四方《よも》の木を揺《ゆす》る。
わが町の木と屋根と皆黒し、
唯だ疎らに黄なるは
街灯の点のみ。
一台のトラツク遠きに黙し、
誰《た》が家のラヂオか、
濁《だ》みごゑの講演起る。
東の方、遥なる丘の上に、
うす桃色の靄長く引けるは、
東京の明かりならん。
我れ独り屋上の暗きに坐る。
燦爛たる星、
満身には風。
つくづくと天の濶きを見上げて、
つつましき心に、この時、
感謝の涙流る。
「久住山の歌」の序詩
我等近く来るたびに、
久住の山、
雲動き霧馳せて、
雨さへも荒し。
久住の山、
我等の見るは、
頂にあらずば裾の
わづかに一部。
一部なれども、
深むらさきの壁に
天の一方を塞ぎ、
隠れまた現る。
ああ全貌を見ずとも、
久住の山、
大地より卓立して
威容かくの如し。
ねがはくは我等の歌、
云ふ所は短けれども、
久住の山
この中にも在れ。
吉本米子夫人に
日木は伸びたり、
滿洲の荒野も今は
大君の御旗のもと。
よきかな、我友吉本夫人、
かかる世に雄雄しくも
海こえて行き給ふ。
願はくは君に由りて、
その親しさを加へよ、
日満の民。
夫人こそ東の
我等女子に代る
平和の使節。
君の過ぎ給ふところ、
如何に愛と微笑の
美くしき花咲かん。
淑《しと》やかにつつましき夫人は
語らざれども、その徳
おのづから人に及ばん。
ああ旅順にして、日露の役に
死して還らぬ夫君《ふくん》の霊、
茲に君を招き給ふか。
行き給へ、吉本夫人、
生きて平和に尽すも
偏《ひとへ》に大御代の為めなり。
まして君は歌びと、
新しき滿洲の感激に
みこころ如何に躍らん。
我れは祝ふ、吉本夫人、
非常時は君を起たしむ、
非常時は君を送る。
月
月、まどかな月、
永遠の処女のやうな月、
昭和八年の中秋の月。
昨夜《ゆうべ》まで三夜《みよ》続けて見た月は
山に、湖上に、海に、
美くしい自然と
友情のなかで眺めた月、
そなた[#「そなた」に傍点]を観た私からは
百首の歌が流れて出た。
今夜の私は沈黙して居よう、
沈黙してそなた[#「そなた」に傍点]に聴かう。
そなた[#「そなた」に傍点]は雲を出て踊り、
そなた[#「そなた」に傍点]は雲に入つて歌ふ。
木犀の香はそなた[#「そなた」に傍点]の息、
竹のそよぎはそなた[#「そなた」に傍点]の衣ずれ。
前へ
次へ
全29ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング