わしり寄り
投ぐる心に通へかし。

無力の女われさへも
かくの如くに思ふなり。
況《いはん》やすべて秀でたる
父祖の美風を継げる民。

ああ大御代の凜凜しさよ、
人の心は目醒めたり。
責任感に燃ゆる世ぞ、
「誠」一つに励む世ぞ。


  日本新女性の歌

東の国に美くしく
天の恵める海と山、
比べよ、其れに適はしき
我等日本の女子あるを。

中にも特にすぐれたる
瀬戸の内海《うちうみ》、富士の雪、
その優しさと気高さは
やがて我等の理想なり。

我等は抱《いだ》く、朗らかに
常に夜明の喜びを。
心の奥に光るもの
春の日に似る愛なれば。

日本の女子は誇らねど、
深く恃《たの》める力あり。
軽佻浮華の外《ほか》に立ち、
真の文化に生きんとす。

技術と学の一切を
今ぞおのおの身に修む。
斯くして立つは新しき
御代の男子の協力者。

聡明にして優雅なり、
慎ましくして勇気あり。
匂へる処女《をとめ》、清き妻、
智慧と慈悲とを満たす母。

固より女子の働くは
遠き祖先の遺風なり。
男子と同じ務めにも
共に奮ひて進み出づ。

桜と梅のひと重、八重、
開く姿は異なれど、
御国《みくに》のうへに美くしく
すべて香れる人の華。


  寿詞

    蘇峰先生古稀
大地の上に降《くだ》り来て
文章星《ぶんしやうせい》の在《いま》すかな。
三代《みよ》の帝と国民《くにたみ》に
報ゆる心澄み徹る
時代の先駆、蘇峰先生。

想は明健まどかにて、
筆は暢達はなやげり。
常に四方《しはう》を警《いまし》めて
仮りの一語も生気あり。
天下の恩師、蘇峰先生。

当世《たうせ》の韓蘇《かんそ》、大史公《たいしこう》、
奇しき力を身に兼ねて、
七十路《ななそぢ》経たる来し方も
千歳《ちとせ》の業《わざ》を立てましぬ。
老いざる巨人、蘇峰先生。

寿をたてまつる、先生よ、
とこしへ若くおはしませ。
豊かに高きその史筆
明治の篇を結びませ。
燦たる光、蘇峰先生。


  〔無題〕

銀座であつたと、人の噂、
それはもうベルが鳴らない前の事。
浮動層のあなたに、
併し猶、映写幕に消えぬ
新居格先生のプロフイル。


  衣通姫

    (今井鑷子女の新舞踊のために作る。)
今宵のこころ躍るかな、
君来たまふや、来まさぬや、
隔てて住めば藤原も、
近江国にことならず。

あやしく躍る心かな、
何がつらきか、此世には、
思ひあへども逢はぬこと、
逢はれぬことに如《し》くぞ無き。

心うれしく躍るなり、
身に余りたる我が恋は
君知らしめせ、忍びかね、
衣《きぬ》を通して光るとも。

こころぞ躍る、この夕、
君来たまはんしるしなり、
蜘蛛は軒より一すぢの、
長き糸こそ垂れにけれ。


  森の新秋

今日の森は涼し、
わたり行く風の音
はらはらと旗を振る。

濃いお納戸《なんど》の空、
上の山より斜めに
遠き地平にまで晴れたり。

まろく白き雲ひとつ
帆の如くに浮び出で、
その空も海に似る。

森の木は皆高し、
ぶな、黒樺、稀れに赤松、
樹脂の香《か》の爽かさ。

太陽は近き幹をすべり、
我が凭る椅子の脚にも
手を伸べて金《きん》を塗る。

かのぶな[#「ぶな」に傍点]の枝に巣あり、
何の小鳥ぞ、胸は朱、
鳴かずして二羽帰る。

紅萩、みじかき茅、
りんだうの紫の花、
猶濡れたれば行かじ。

我れは屋前の椅子に、
読みさせる書をまた開く。
秋は今日森に満つ。


  〔無題〕

蒋介石に手紙を出したが、
届いたと云ふことを聞かぬ。
聞違つてゐた、
わたしは唐韻の詩で書いた、
商用華語を知らないので。


  〔無題〕

煙突男が消えたあと、
銀座の柳が溺れたあと、
流行の洪水に
ノアの箱舟が一艘
陸軍旗を立てて来る。


  〔無題〕

切腹しかけた判官が
由良之介を待つてゐる。
由良之介が駆けつける。
シネマを見馴れた少年は
お医者と間違へる。

[#改ページ]

 昭和八年


  冬晴

今日もよい冬晴《とうせい》、
硝子障子にさし入るのは
今、午前十時の日光、
おまけに暖炉《ストオヴ》の火が
適度に空内を温《あたた》めてゐる。

わたしは平和な気分で坐る。
今日一日外へ出ずに済むことが
なんとわたしを落ち著かせることか。
でも為事《しごと》が山を成してゐる、
せめてこの二十分を楽まう。

硝子越しに見る庭の木、
みな落葉した裸の木、
うす桃色に少し硬く光つて、
幹にも小枝までにも
その片面が日光を受けてゐる。

こんな日に何を書かう、
論じるなんて醜いことだ。
他に求める心があるからだ。
自然は求めてゐない、
その有るが儘に任せてゐる。

わたしは此のひまに歌はう、
冬至梅《とうじばい》に三四点の紅《べに》が見える、
白い椿も咲きはじめた、
花の頬と香りの声で

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