うに、
幾ところからもせり出した
染物屋の物干の
高い大きな布のかたまり。
なんとそれが
堂々と揺れて光ることだ。
日本銀行と三越《みつこし》の
全身不随症の建物が
その蔭で尻餅をついてゐる。


  〔無題〕

おどろけるは我なるに、
よろよろとする自転車、
その自転車乗り
わが前に
おまへは護謨《ごむ》製の操人形《あやつり》か。


  〔無題〕

竹を割りて
まろく幹をつつみ、
黒き細縄もて縛れり。
簡素ながら、
いと好くしたる
職人の街路樹の愛。


  〔無題〕

一人の爺《おやぢ》チヤルメラを吹き、
路ばたにがつしり[#「がつしり」に傍点]と据ゑぬ、
大臣、市長、頭取の
椅子よりも重く。
よいかな、爺、
我等の児になくて叶はぬ
飴屋の荷の台。


  〔無題〕

銀座通りの夜店の
人込のなかの敷石に、
盛上がりてねむる赤犬、
大胆のばけもの、
無神経のかたまり。
たれもよけて過ぎ行く。


  〔無題〕

白き綿の玉の如き
二羽のひよこが
ぴよぴよと鳴き、
その小さきくちばしを
母鶏の口につく。
母鶏はしどけなく
ななめにゐざりふし、
片足を出だして
ひよこにあまえぬ。
六月の雨上りの砂
陽炎《かげろふ》の立ちつゝ。


  〔無題〕

心にはなほ
肩あげあり、
前髪、額《ぬか》を掩へど、
人は見ぬにや、
知らぬにや、
心にはなほ
ゆめをおへども……


  〔無題〕

五歳《いつつ》になつた末の娘、
もう乳を欲しがらず、
抱かれようとも言はぬ。
辻褄の合はぬお伽噺を
根ほり葉ほり問ふ。
ママの膝なんかに用は無い、
ちやんと一人の席を持つてゐる。
[#改ページ]

 大正十三年


  賀頌

慶《よろこび》ありて、
東の空、
見よ、この日の、
かがやく、
いみじき光を。

めでたきかなや、
日嗣《ひつぎ》の皇子《みこ》、
世の星なる、
麗はし、
良き姫めとらす。

雄雄しくいます、
日嗣の皇子、
げに、人皆、
とこしへ、
たのまん御柱《みはしら》、

ならびて在《いま》す、
天つ少女《をとめ》、
そのみなさけ、
優しく、
みけしき気高し。

長五百秋《ながいほあき》に、
咲きつぐ花、
此の白菊、
いざ、いざ、
挿《かざ》して祝はん。


  祝意一章

すべて世のこと人のわざ、
善きが続くは難かるに、
これの冊子《さうし》のめでたさよ
百に重ぬる、更に一。

百てふ数は豊かなり、
倉に満ちたる穀のごと、
これの冊子の来し方の、
足らへることの証なり。

一は万《よろづ》の始めとて、
春立つ朝の空のごと、
これの冊子の更にまた、
新たに開く世界なり。

ああ見よ、此処に、まばゆくも、
聡く、気高く、うるはしき、
久遠の女、人のため、
行くべき方《かた》を指さしぬ。


  母の歌

ふたおやの愛の心は
等しくて差別なけれど、
その愛の姿のうへに
おのづから母ぞ異る。

女にて母とならずば
如何ばかり淋しからまし。
女なる身の幸ひは
母となり初めて知りぬ。

生むことは聖なるわざぞ、
母ひとり之をなすのみ。
神の子と云はるる人も
母の血を浴びて生れき。

男らは軍《いくさ》に出でて
人斬りし道なき世にも、
をさな児に乳房を与へ、
かき抱《いだ》き歌ひしは母。

母なくば人は絶えけん、
母ありて、人の生命《いのち》は
つぎつぎに新たになりぬ、
美くしくやさしくなりぬ。

今の世も男ごころは
おしなべて荒く硬かり。
正しきに導くものは
母ならで誰か能《よ》くせん。

願はくは母の名に由り、
地の上の人を浄めん、
富む者の欲を制せん、
戦ひを全《また》くとどめん。
[#改ページ]

 大正十五年


  〔無題〕

或日、わがこころは
うす墨色の桜、
また別の日、わが心は
紅き一ひらの罌粟《けし》の花、
時は短し、欲多し。


  〔無題〕

あなた、石が泣いて居ます、
石が泣くのを御覧なさいまし。
あの朴の木の下の二つ目の石、
光を半分|斜《はす》に受けて
上を向いて、
渋面をして泣いて居ます。
こんな山の中で、静かな中で、
だまつて泣いて居ます。


  〔無題〕

黄味がかつた白い睡蓮、
この花を見ると、
直ぐ私の目に浮ぶのは
倫敦《ロンドン》のキウ・ガーデンの池、
仏蘭西《フランス》風と全くちがつた
自然らしい公園の奥の池、
あなたと私とは立止まり、
さて其処に見た、
羅衣《うすもの》に肌身の光る
静かなる浴女の一群《ひとむれ》。
[#改ページ]

 昭和二年


  正月に牡丹咲く

今年ここに第一の春、
元日の卓の上に、
まろまろと白き牡丹
力満ちて開かんとす。

金属も火も知らぬ、
かよわき中の強さ、
よき人の稀に持つ
素顔の気高さ。

この喜びにいざ取らん
わが好む細き細き穂長の筆。
牡丹とわが心と今
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