風に吹かれてゆらゆらと
黄金《きん》の車に乗りながら、
青い空から降りて来て、
花子の居間をさし覗く。
小《ち》さい花子はお日様を
近く眺める嬉しさに、
眩しいことも打忘れ、
思はず窓に駆け寄れば、
またも不思議や、お日様は
直ぐに一輪、向日葵《ひまはり》の
花に変つて立つて居る。
秋が来た
涼しい涼しい秋が来た
花子の好きな秋が来た。
空は固より、日の色も
水も空気も吹く風も
すつきりしやんと澄み徹る。
まして静かな夜《よ》となれば
小《ちさ》い花子が面白い
お伽噺を読む側で
月はきんきん黄金《きん》の色
虫はりんりん鈴の声。
小《ちさ》い花子の思ふやう
竹の中から美くしい
赫夜姫《かぐやひめ》をば見附けたも
かうした秋の日であらう。
涼しい涼しい秋が来た。
光る栗の実
裏の林の秋の昼
静かな中に音がした。
何の音かと小走りに
小《ちさ》い花子が来て見たら
まんまるとした栗の実が
高い枝から落ちて居る。
毬《いが》を離れた栗の実は
今あたらしく世に生れ
空を見るのが嬉しいか
一つ一つに莞爾《にこにこ》と
好《よ》い笑顔をば光らせる。
そして花子も好い笑顔。
鴎
初秋《はつあき》の夷隅川、
空の緑を映した中に、
どの小波《さざなみ》も
新婦《にひよめ》の顔をして
桃色に染まつて居る。
初秋の夷隅川、
そして、折折に来るのは、
白い光の鳥、
自由と幻想《ヴイジヨン》の鳥、
おお、私の心の中の一羽の鴎。
雲
何処から来たのか、
海の上の
桔梗色の空の上に、
まん円く白い雲の一団。
今、その雲の尖端《さき》を
気紛れな太陽が少し染めると、
雲は命を得て、
見る見る生きて動く。
もう雲では無い。
黄金《きん》の角《つの》を左右に振つて、
項を垂れながら、
後足で空に跳ねる白い大牛。
砂の上
私達は浜へ出た。
何処までも続く砂は
一ぱいに夕焼を受けて、
黄金《きん》と紫に濡れて居る。
海は猶更、
大きな野を焼くやうに、
炎炎と燃え広がり、
壮厳な猛火の楽が聞える。
そして、私達の
夕焼を受けた顔を見ると、
どの顔も莞爾《にこにこ》と希望に光り、
嬰粟《けし》の花のやうに酔つて居る。
けれども、地に曳く
青ざめた影を振返ると、
みんなが、淋しい、淋しい
永遠の旅人を自覚する。
若い渡守
長者町の浜と
砂丘《しやきう》との間を漕ぐ
一人の青年の渡守、
その名は田中文治さん。
文治さん、
あなたは寡言《むくち》です、
あなたは人の十言《とこと》に対して
やつと[#「やつと」に傍点]一言を答へます、
重い、重い、鉄のやうな一言を。
文治さん、
あなたは人が礼を述べても
大して嬉し相な表情を見せません、
勿論、世辞や愛想《あいそ》は。
文治さん、
あなたは兵役から帰つて来た人です
それで居て、少しも都会じみず、
日焼の黒い顔と、
百姓の子の生地とを保つて居る。
文治さん、
あなたは避暑客のために、
この夏中、此町の青年と一緒に、
渡守の役目を引受けて居る。
文治さん、
あなたは三日置の自分の番の外に、
仲間の者の課役をも助けて、
殆ど毎日、逞ましい裸体《はだか》で、
炎天の下《もと》に櫓を採つて居る。
文治さん、
あなたは寡言《むくち》です。
けれど、その銅像のやうな全身は
未来の偉大な人道を語ります。
朝露
今朝田舎には、
しつとりと
白い大粒の露が置いて居る。
私達が素足に
竹の皮の草履を穿いて、
小走りに海の方へ下りて行くのは、
両側に藤豆と玉蜀黍《たうもろこし》とが
人の丈よりも高く立つ細道。
おお、何と云ふ親しさだ。
小さな紅玉を綴つた花や、
翡翠の色の長い葉が
額にも、手にも、袂にも触れる。
さうして、その度に露がこぼれる。
今朝、田舎には
どの草木にも
愛の表情と涙とが溢れて居る。
秋の匂ひ
秋の優しさ、しめやかさ。
どの木、どの草、どの葉にも、
冴えた萠葱《もえぎ》と、金色《こんじき》と、
深い紅《べに》とが入りまじり、
そして、内気なそよ風も、
水晶質のしら露の
嬉し涙を吹き送る。
秋の優しさ、しめやかさ。
空行く雁は瑠璃《るり》色の
高い大気を海として、
櫓を漕ぐやうな声を立て、
何処《どこ》の窓にも睦じい
円居の人の夜話に
黄菊の色の灯が点《とも》る。
晩秋の感傷
秋は暮れ行く。
甘き涙と見し露も
物を刺す霜と変り、
花も、葉も、茎も
萎れて泣かぬは無し。
秋は暮れ行く。
栗は裸にて投げ出《いだ》され、
枯れがれの細き蔓よりも
離散する黒き実あり、
黍幹《きびがら》も悲みて血を流しぬ。
秋は暮れ行く。
今は人の心の水晶宮も
粛として澄み透り、
病みたる愛の女王の傍ら
睿智の獅子は目を開く。
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