槍の穂の如くに輝き、
優しの素足に
さくさくと雪を蹴りつつ、
甲斐甲斐しくも穿きたるは
希臘《ギリシヤ》風の草鞋《サンダル》……
さて桔梗色や
淡紅《とき》色の
明るき衣《ころも》
霧よりも軽《かろ》く
膝を越えて
つつましやかに靡けば、
女達の身は半
浮ぶとぞ見ゆる。
この美くしき行列は
断えず歌へり。
その節は
かすかに軽《かろ》き
快き眩暈《めまひ》の中に
人と万物を誘ひ、
人には平和を、
木草には花を感ぜしむ。
女達は歌ひつつ行く。
「全世界を恋人とし、
いとし子として、
この温かき胸に抱《いだ》かん。
我等は愛の故郷《ふるさと》――
かの太陽より来りぬ」と。
おお、此処に、
踊りつつ、
歌ひつつ、
急ぐ女の一むれ……
女達の踏む所に
紅水晶の色の香水
光の如くに降り注ぎ、
雪の上に一すぢ
春の路は虹の如く
ほのぼのとして現れぬ。
手の上の氷
日の堪へ難く暑きまゝ
しばらく筆をさし置きて、
我れは氷のかたまりを
載せて遊びぬ、手のひらに。
貧しき家の我子等は
未だ見ざりしその母の
この戯れを怪しみて、
我が前にしも集まりぬ。
可愛ゆき子等よ、こは母が
珍しきまゝする事ぞ、
唯だ気紛れにする事ぞ、
いはれも無くてする事ぞ。
かゝる果敢なきすさびすら
母が昔の家にては
許されずして育ちにき、
唯だ頑なに護られて。
可愛ゆき子等よ、摸《ま》ねたくば
いざ氷をば手に載せよ。
さて年長けて後《のち》思へ、
母は自由を愛でにきと。
我は矛盾の女なり
我れは矛盾の女なり、
また恐らくは、魂に
病を持てる女なり。
我れを知らんとする人は
先づ此事を知り給へ。
祖国を二なく愛でながら、
世界の人と生きんとし、
濫婚国に住みながら、
一つの恋を尊びぬ。
我れは矛盾の女なり。
また恐らくは、魂に
病を持てる女なり。
貧しき事を詫びながら、
貴人に似たる歌を詠み、
人の笑む日に泣くなれば。
母の文
虫干の日に見出でしは
早く世に亡き母の文、
中風《ちゆうぶ》の手もて書きたれば
乱れて半ば読み難し。
わが三度目の産月《うみづき》を
案じ給へる情《なさけ》もて
すべて満たせる文ぞとは
薄墨ながらいと著《しる》し。
このおん文の着きし日に
我れは産をば終りしが、
二日の後に、俄にも
母は世に亡くなり給ひ、
産屋籠りの我がために
悲しき事は秘められて、
母なき身ぞと知りつるは
一月《ひとつき》経たる後なりき。
我れに賜へるこの文が
最後の筆とならんとは、
母みづからも知りまさぬ
天の命運《さだめ》の悲しさよ。
あゝ、いましつる其世には、
母を恨みし日もありき。
いまさずなりて我れは知る、
母の真実《まこと》の御心を。
否、母うへは永久《とこしへ》に
世に生きてこそ在《いま》すなれ、
遺したまへる幾人の
子の胸にこそ在すなれ。
いざ見そなはせ、此に我が
思ふも母の心なり、
述ぶるも母の言葉なり、
歌ふも母の御声《みこゑ》なり。
嵐の後の庭の木戸
嵐の後の庭の木戸、
その掛金を失ひて、
風のまにまに打揺れぬ。
今朝我が来れば、外つ国の
女の如き身振にて、
軽き会釈を為す如し。
萎れたれども、花壇より
薔薇は仄かに香を挙げて
人を辿へぬ[#「辿へぬ」はママ]、いざ入らん、
嵐の後の庭の木戸。
わが墓
幸《さち》うすき身は、生きながら、
早く一つの墓を持つ。
知るは我れのみ、わが歌を
やがて淋しき墓ぞとは。
げにわが歌は墓なれば、
刹那の我れを納れしまゝ、
冷たく暗き過去となり、
未来は永く塞がりぬ。
愛も、望みも、微笑みも、
憂きも、涙も、かなしみも
此処にありしと誰れ知らん、
灰のみ白き墓なれば。
大忘却の奥ふかく
合されて行く安楽の
二なきを知れる我れながら、
時には之をかなしみぬ。
花子の目
あれ、あれ、花子の目があいた
真正面をばじつと見た。
泉に咲いた花のよな
まあるい、まるい、花子の目。
見さした夢が恋しいか、
今の世界が嬉しいか。
躍るこころを現はした
まあるい、まるい、花子の目。
桃や桜のさく前で、
真赤な風の吹く中で、
小鳥の歌を聞きながら、
まあるい、まるい、花子の目。
噴水と花子
お池のなかの噴水も
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。
お池のなかの噴水は
少女《をとめ》のやうに慎ましく
口をすぼめて、一心に
空を目がけて歌つてる。
小さい花子の心にも
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。
小さい花子と噴水と
今日は並んで歌つてる。
ともに優しい、美くしい
長い唱歌を歌つてる。
向日葵と花子
ほんに不思議や、きらきらと
光る円顔、黄金《きん》の髪、
童すがたのお日様が、
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