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大正九年
太陽の船出
お日様、お日様、
若いお日様、
今日はあなたの鹿島立《かしまだち》。
正月元日、瑠璃色の
海になびいた霞幕、
その紫をすと[#「すと」に傍点]分けて、
金《きん》のお船に、玉の櫂、
東の空に帆を揚げる
めでたや、めでたや、
おめでたや。
お日様、お日様、
若いお日様、
今日はあなたの鹿島立。
金のお船に積み余る
熱と光は世を温《ぬく》め、
真紅の帆から洩る風は
長閑《のどか》な春を地に満たし、
そして行手は花盛り
めでたや、めでたや、
おめでたや。
衆議院の解散
衆議院解散の
号外を手にした刹那、
わたしは座を立つて
思はず叫んだ。
「原敬の白髪頭が
何と云ふ善い智慧を出したのだ
自暴自棄と云ふ事ほど
最上の自滅法はありません。
民衆の敵、
社会の敵、
自由の敵、
政友会よ、
もうお前は亡霊だ。」
健之介の畑
小《ち》さい健之介は
汗をば流し、
今日もせつせ[#「せつせ」に傍点]と
畑《はた》打つ、一人。
裏の畑は
やくざな畑、
何処を打つても
石ころだらけ。
石と鍬とが
かつちり[#「かつちり」に傍点]、こつちり[#「こつちり」に傍点]、
鍬は泣きだす、
石は火出だす。
花を植ゑるか、
菜の種蒔くか、
なぜに打つかと
健之介に問へば、
「蒔くか、植ゑるか、
それはまだ[#「まだ」に傍点]決めぬ。
僕は力が
出したいばかり。」
山房の雨
六甲苦楽園の雲華庵に宿りて
津の国の武庫の山辺の
高原《たかはら》の小松の上を、
細々と、つつましやかに、
歩みくる村雨のおと。
高原の庵《いほ》に目ざめて、
猶しばし枕しながら、
そを聴けば静かに楽し、
初夏《はつなつ》のあかつきの雨。
おそらくは、青き衣《ころも》に、
水晶の靴を穿きつつ、
打むれて山に遊べる
谷の精、それか、あらぬか。
戸を開けて打見下ろせば、
しら雲の裳《もすそ》を曳きながら、
をちかたに遠ざかりゆく
あかつきの山の村雨。
〔無題〕
栓をひねると
水道の水が跳ねて出る。
何処の流しへでも、
誰れの手へでも、
それは便利な機械的文化です。
併し、わたしは倦きました、
わたしは掘りたい、
自分の力で、
深い、深い、人間性の井戸が一つ。
〔無題〕
すき通る緑、
泣いた女の瞼のやうな薄桃色。
一本の、
ひよろ、ひよろとしたねぢり[#「ねぢり」に傍点]草が
わたしの心に一ぱいになつて光つて居る。
どんなに、わたしの心が、今朝、
美くしい空虚《からつぽ》であつたのか、
そして、わたしは満足して居る。
一本の
ひよろ、ひよろとしたねぢり草が
わたしの心へ入つて来たことに、
すき通る緑、
泣いた女の瞼のやうな薄桃色。
〔無題〕
大粒で無い秋の雨が
思ひ出したやうに、折折、
ぽつり、ぽつりと
わたしの髪を打つ。
黄ばんだ萱の葉を打つやうに、
咲き残つた竜胆《りんだう》の花を打つやうに。
わたしは今、
東京の大通りを急ぎながら、
心は
浅間の山の裾野を歩いて居る。
〔無題〕
わたしの一人の友が
逢ふたびに話す、
大正六年の颱風に
千葉街道の電柱が
一斉に、行儀よく、
濡れながら、
同じ方向へ倒れて居たことを、
わたしは、その快い話から、
颱風を憎まない。
それが破壊で無くて
新しい展開であるのを思ふと、
颱風を愛したくさへなる。
おお、一切の煩瑣な制約を掃蕩する
天来の清潔法である颱風。
〔無題〕
青い淵、
エメラルドを湛へて
底の知れない淵、
怖ろしい淵、死の淵。
所へ、「みづすまし」が
一匹ふいと現れて、
細長い
四本の脚で身を支へ、
円く、円く、軽軽と、
踊つたり、舞つたり。
淵は今「みづすまし」の
美くしい命の
「渦巻つなぎ」に満ち、
この芸術家的な虫の
支配のもとに、
見るは唯だメロデイの淵、
恍惚の淵、青い淵。
[#改ページ]
大正十年
紙で切つた象
母さん、母さん、
端書《はがき》を下さい、
鋏刀《はさみ》を下さい、
お糊を下さい。
アウギユストは今日、
古い端書で
象を切ります。
きり、きり、きり、きり。
そおれ、長い長いお鼻、
そおれ、脊中、
まんまるい脊中。
きり、きり、きり、きり。
それから、小さな尻尾《しつぽ》、
後脚とお腹、
さうして前脚。
きり、きり、きり、きり。
少し後脚が短い、
印度《インド》から歩いて来たので、
くたびれて、
跛足《びつこ》を引いて居るのでせう。
象よ、板の上に、
足の裏を曲げて、
糊をば附けて、
さあ、かうしてお立ち。
可愛い象よ、
お腹が空いたら、
藁を遣ろ、
パンを遣ろ。
母さん、母さん、
象の脊中には何を載せるの。
人間ですか、
荷物ですか。
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