りながら、
仕へてゐる主人の真似をして
ブルジヨア風の服装《みなり》をしてゐるために、
其男に気兼し、
其男を怒らせることを恐れてゐる。
電車は走つて行く。
其男は呑気にふんぞり反つて寝てゐる。
乗客は窮屈な中に
忍耐の修行をして立ち、
わざと其男の方を見ない振をしてゐる。
その中に女の私もゐる。

一人で五人分の席を押領する……
人人がこんなに込合つて
息も出来ないほど困つてゐる中で……
あゝ一体、人間相互の生活は
かう云ふ風でよいものか知ら……
私は眉を顰めながら、
反動時代の醜さと怖ろしさを思ひ
我々プロレタリアの階級に
よい指導者の要ることを思つてみた。

併しまた、私は思つた、
なんだ、一人の、酔つぱらつた、
疲れた、行儀のない、
心の荒んだ、
汚れたビロオド服の労働者が
五人分の席に寝そべることなんかは。
昔も、今も、
少数の、狡猾な、遊惰な、
暴力と財力とを持つ人面獣が、
おのおの万人分の席を占めて、
どれ位われわれを飢させ、
病ませ、苦めてゐるか知れない。
電車の中の五人分の席は
吹けば飛ぶ塵ほどの事だ。

かう思つて更に見ると、
大勢の乗客は皆、
自分達と同じ弱者の仲間の
一人の兄弟の不作法を、
反抗的な不作法を、
その傍に立塞がつて
庇護《かば》つてゐるやうに見える。
その中に女の私もゐる。


  母と児

書き捨てた反古を捻つて、
幾つも幾つも作る、
紙《こ》よりの犬。
「母あさんは今日、
玩具《おもちや》を買ひに出る暇が無いの、
是で我慢をなさいな。」

ひよろ、ひよろとした小犬が
幾つも机の上に並ぶのを見て、
四歳の児の目は円くなる。
「母あさん、此犬を啼かして頂戴、
啼かなけりや、母あさんは
犬を作るのが下手ですよ。」


  郊外

路は花園に入り、
カンナの黄な花が
両側に立つてゐる。
藁屋根の、矮い、
煤けた一軒の百姓家が
私を迎へる。
その入口の前に
石で囲んだ古井戸。
一人の若い男が鍬を洗つてゐる。
私のパラソルを見て、
五六羽の鶏が
向日葵の蔭へ馳けて[#「馳けて」はママ]行く。
黄楊の木の生垣の向うで
田へ落ちる水が、
ちよろ、ちよろと鳴つてゐる。
唯だ、あれが見えねば好からう、
青いペンキ塗の
活動写真撮影場。


  〔無題〕

六月の太陽のもとで、
高架線から見る東京。
帆のやうに、幕のやうに、
舞台装置の背景布のや
前へ 次へ
全58ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング