しき事は秘められて、
母なき身ぞと知りつるは
一月《ひとつき》経たる後なりき。
我れに賜へるこの文が
最後の筆とならんとは、
母みづからも知りまさぬ
天の命運《さだめ》の悲しさよ。
あゝ、いましつる其世には、
母を恨みし日もありき。
いまさずなりて我れは知る、
母の真実《まこと》の御心を。
否、母うへは永久《とこしへ》に
世に生きてこそ在《いま》すなれ、
遺したまへる幾人の
子の胸にこそ在すなれ。
いざ見そなはせ、此に我が
思ふも母の心なり、
述ぶるも母の言葉なり、
歌ふも母の御声《みこゑ》なり。
嵐の後の庭の木戸
嵐の後の庭の木戸、
その掛金を失ひて、
風のまにまに打揺れぬ。
今朝我が来れば、外つ国の
女の如き身振にて、
軽き会釈を為す如し。
萎れたれども、花壇より
薔薇は仄かに香を挙げて
人を辿へぬ[#「辿へぬ」はママ]、いざ入らん、
嵐の後の庭の木戸。
わが墓
幸《さち》うすき身は、生きながら、
早く一つの墓を持つ。
知るは我れのみ、わが歌を
やがて淋しき墓ぞとは。
げにわが歌は墓なれば、
刹那の我れを納れしまゝ、
冷たく暗き過去となり、
未来は永く塞がりぬ。
愛も、望みも、微笑みも、
憂きも、涙も、かなしみも
此処にありしと誰れ知らん、
灰のみ白き墓なれば。
大忘却の奥ふかく
合されて行く安楽の
二なきを知れる我れながら、
時には之をかなしみぬ。
花子の目
あれ、あれ、花子の目があいた
真正面をばじつと見た。
泉に咲いた花のよな
まあるい、まるい、花子の目。
見さした夢が恋しいか、
今の世界が嬉しいか。
躍るこころを現はした
まあるい、まるい、花子の目。
桃や桜のさく前で、
真赤な風の吹く中で、
小鳥の歌を聞きながら、
まあるい、まるい、花子の目。
噴水と花子
お池のなかの噴水も
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。
お池のなかの噴水は
少女《をとめ》のやうに慎ましく
口をすぼめて、一心に
空を目がけて歌つてる。
小さい花子の心にも
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。
小さい花子と噴水と
今日は並んで歌つてる。
ともに優しい、美くしい
長い唱歌を歌つてる。
向日葵と花子
ほんに不思議や、きらきらと
光る円顔、黄金《きん》の髪、
童すがたのお日様が、
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