よ、来て訪《と》へ、この日頃。
我等が交す言の葉に
燃ゆる命の有り無しは
花に比べて知りぬべし。

うすくれなゐの薔薇さきぬ、
この美くしく清らなる、
この尊げに匂ひたる、
花の証のある限り、
愛よ、そなたを我れ頼む。


  〔無題〕

おお、薔薇よ、
ゆたかにも、
うす紅く、
あまき香《か》の、
肉感の薔薇よ、
今日、そなたは
すべて唇なり。

花ごとに、
盛り上り、
血に燃えて、
かすかに戦《わなゝ》く
熱情の薔薇よ、
一切を吸ひ尽す
愛の唇よ。

その唇の上に、
太陽も、人も、
そよかぜも、
蜜蜂も、
身を投げて寄り伏し、
酔ひと夢の中に、
焼けて咽ぶ。

おお、五月の
名誉なる薔薇よ、
香ぐはしき刹那に
永久を烙印し、
万物の命を保証する
火の唇よ、
真実の唇よ。


  〔無題〕

薔薇よ、如何なれば
休むひま無く香るや。
花は、微風《そよかぜ》に托して
之に答へぬ。
「我は自らを愛す、
されば思ふ、
妙香の中に生きんと。
たとひ香ることは
身一つに過ぎずとも、
世界は先づ
我よりぞ浄まる。」


  〔無題〕

薔薇の花打つ、あな憎し、
煤色の雨、砂の風。
薔薇は青みぬ、うつ伏しぬ、
砕けて白く散るもあり。

之を見るとき、花よりも
苛《さいな》まるるは我が心。
堪へ難ければ、傘とりて、
花の上にぞさしかざす。


  〔無題〕

淡黄《うすき》と、白と、肉色と、
三輪の薔薇、わが手より
和蘭《オランダ》焼の花瓶《はながめ》に
移さんとして躊躇《ため》らひぬ、
またと得難き宝玉の
身をば離るる心地して。

瓶に移せる薔薇の花、
さて今は是れ、一|人《にん》の
私に見る花ならず、
我背子も愛で、友も愛で、
美くしきかな、安きかな、
見る人々の為に咲く。


  〔無題〕

衰へて、濡れたる紙の如く、
瓶の端に撓《たわ》める薄黄の薔薇、
されど、しばし我は棄てじ。
花は仄かに猶|呼吸《いき》づきぬ、
あはれ、こは、臨終《いまは》の女詩人の如く、
香る、美くしき言葉も断続《きれぎれ》に……


  〔無題〕

わが運命の贈りもの、
恋と歌とに足る身には
薔薇を並べた日が続く、
真珠を並べた日が続く。

かよわき身には、有り余る、
幸《さち》も重荷となるものを、
思ひやりなき運命よ
情《なさけ》の過ぎた運命よ。

多くの幸《さち》が贖罪を
終《つひ》に求める日
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