君の旅にかずかずの幸あれと
家を挙げて祝ふ清き正月元日。


  〔無題〕

真赤な花のいく盛《さか》り。
透きとほつたる真紅から、
うす紫を少し帯び、
さてはほんのり上白《うはじろ》み、
また物恨むしつこさの
黒味に移るいく盛り。
君よ棄てゆくこと勿れ、
真赤な花は泣いてゐる。
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 大正元年


  〔無題〕

虻のうなりか、わが髪に
触れて呼吸《いき》つくそよ風か、
遠い木魂か、噴上か、
をりをり斯んな声がする。
「君もわたしも出来るだけ
物の中身を吸ひませう。
今日のよろこび、行くすゑの
夢のかぎりを尽しませう。」


  〔無題〕

うすく紅《べに》さす百合の花、
ひと花づつを、朝ごとに、
咲けば、どうやら、わが頼む
よい幸福《しあはせ》はまのあたり。

うすく紅さす百合の花、
ひと花づつを、朝ごとに、
散らせば、あたら、わが夢も、
しばし香りて消えて行く。

うすく紅さす百合の花、
よし、幸福《しあはせ》でないとても、
また、かりそめの夢とても、
わたしは花をじつと嗅ぐ。


  〔無題〕

若い娘の言ふことに、
「別れを述べる時が来た。
美くしい花、にほふ花。
わたしの無垢な日送りに
さびしい友であつた花。
今日までわたしを慰めた
やさしい花のかずかずに、
別れを述べる時が来た。
花の神様、いざさらば。
わたしは愛の神様に
手をば執られて参りましよ。」

若い娘の言ふことに、
「別れを述べる時が来た。
美くしい花、にほふ花。
弥生に代る初夏の、
青い海から吹いて来る
五月の風に似た男、
若い、やさしい、あたたかな、
生々としたあの男、
すべての花に打勝つて、
その目にわたしを引附けた。
男の中の花男。」

若[#「若」は底本では「花」]い娘の言ふことに、
「別れを述べる時が来た。
美くしい花、にほふ花。
おお、その上に、よい声で、
いつもわたしを呼び慣れた
赤い小鳥よ、そなたにも、
別れを述べる時が来た。
どれどれ籠から放しましよ。
済まないながら、今日からは、
燃えた、やさしいくちびるの外に聞きたい声もない。」


  〔無題〕

若い娘の言ふことに、
「雲雀よ、雲雀、
そなたは空で誰を喚ぶ。
――それは何《ど》うでもよいわいな。
わたしは君の名をば喚ぶ。
昼は百たび、
夜《よる》は二百たび。」

若い娘の言ふことに、
「あれ、あの青い
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