ロン》の椅子をいと※[#「執/れっか」、10巻−483−上−1]き、
涙に我れの濡らしてき。

老いたる寡婦の悲みが、
別離の情に誘はれし、
不覚の態と恥ぢたりき、
友の客室の我が涙。

死ぬは期《ご》したることなれば、
重い病になりしとて、
強き心の我が友を、
殊更思ふこともなし。

世のもてなしの礼なさが、
著《あら》はになりて見えし時、
病に障りあらすなと、
惑へる子等を我れは見ぬ。

一年《ひととせ》まへの真夏の日、
旅立つ友に流したる、
涙のこころやうやくに、
悟るを得たり、わが友よ。


  蜜柑の木

朝の光が外にゐて、
さて鎧戸と、窓掛と、
その内側の白い蚊帳、
かうした中に生えてゐる、
蜜柑の若木五六本。
それが私に見えるのだ。
いまだ開かぬ瞼ごし、
まぼろしでなく夢でなく、
昨日の朝も今朝も見る。
香《かぐ》の木の実が生《な》るでなし、
はなたちばなが咲くでなし、
蜜柑の木より榊とも、
樒《しきみ》の木とも云ふ方が、
かなつたやうな若い木で、
穂すすきめいた弓なりの、
四尺ばかりの五六本。
初めの朝に蜜柑だと、
決めて眺めた緑の木。
熊野の浦の浜畑の、
白い沙地と見えるのは、
まさしく蚊帳の麻の目よ。
私はこれを楽しんで、
見てゐながらも思ひます。
かうした蚊帳の中にある、
蜜柑畑のほの白い、
沙子《すなご》の中で人しれず、
生命《いのち》終つて横たはる、
朝が私にあることを。


  すすき

穂の薄をば手に提げて、
盆の仏の帰る絵を、
身の毛のよだつ思ひして、
見たは幼い日のわたし。

そのすすきより細い手も、
それより白い骨もまた、
恐しい気のせずなりて、
十三日の待たるるよ。

巴里の街の下に見し、
カタコンブなる鈍色《にびいろ》の、
人骨などはよそのこと、
あの絵に描いた白い人。

[#改ページ]

 昭和十三年


  二十六日

霜月の末の落日、
常磐木の十《と》もと二十《はた》もと、
その他《た》には三四の紅葉、
中目黒、驪山《りざん》の荘よ、
広縁に畳敷かれて、
古柱、紫檀めきたり。
この入日、平家の船を
西海に照らせる如く、
我れを射て、いといと赤し
心をば云ふにあらねど、
風なくて肩の寒かり、
君逝きし二十六日。


  丹羽夫人に

伊弉諾《いざなぎ》と伊弉冉《いざなみ》の神、
導きて、うら若草の、
妹と背の君の入るてふ、
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