》する習慣を作るに到りました。昔から支那などは習慣を重んじ過ぎる国ですから、少し新しい人が出て自己の特性を発揮しようとすると、直ぐに不忠だとか大逆無道だとかいう悪名を著せて死罪に処したりなんか致します。人が尊いか、習慣が尊いか解らなくなっております。日本にも以前はそういう無茶苦茶な事が随分|盛《さかん》に行われていて、それがために天子様も久しく王政を復古遊ばす事が出来ず、佐久間象山《さくましょうざん》、吉田松蔭《よしだしょういん》のような偉人も因襲を脱して新吾《しんご》を磨こうと致したために殺されました。でその時代に危険のない生活を送ろうとする人人は、理も非もいわずに旧《ふる》い習慣と旧い概念とに盲従し、徳川将軍は千秋万歳日本の政権を握っているもの、武士は何時《いつ》でも主人のために腹を切るもの、儒学は永久に聖堂の朱子学《しゅしがく》を標準とすべきもの、宗教は仏教以外に信ずべからざる事、百姓町民は万世にわたって武人の下風に立ち、生かすとも殺すとも御役人の自由に任すべきもの、女は三界に家なく親と良人《おっと》と我子とに屈従すべきもの、こういう考でいるより外はなかったのです。

 それを思
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