ますにしても、一切の方針は五カ条の御誓文、憲法、教育勅語、これらのものを参照致しております。私はこれらの外に何らの道徳も宗教も必要を感じないのです。

 現代の婦人が「女もまた男子と同じく人である」という自覚を得ました事は、思想の自由を善用して世界の智識の一端に触れる事の出来た賜《たまもの》ですが、人でなしに扱われていた因襲の革嚢《かわぶくろ》から生地《きじ》の人間になって躍り出したのは結構な事であるとして、さて裸体《はだか》のままでは文明の婦人とはいわれない、それは禽獣《きんじゅう》と雑居していた蒙昧《もうまい》な太古に復《かえ》るものですから、お互にどうしてもその裸体《はだか》を修飾して文明人の間に交際《つきあい》の出来るだけの用意が必要です。それには何よりも現代の根本精神を知るのが第一で、私は一般の婦人方に五カ条の御誓文と憲法とを御読みになる事を御奨《おすす》め致したいと思います。これらの根本精神が解らないで現代の新婦人だなどと自負するのは滑稽《こっけい》な事でしょう。教育勅語だけを拝読したのでは、道徳的方面をのみ御示しになっておりますから、万事にわたる根本精神は領解しがたいかと存じます。かような事をお奨め致すと男子側から反対が出て、女子に権利自由の思想を鼓吹するのは女子を生意気にするものだと批難せられるでしょうが、そういう批難をする男子があるのは、男子側にすら一般には憲法などに現れた新代の根本精神がまだ領解されていない証拠なのです。女子を自分と対等な位地に置くことを肯《がえん》ぜないのは、男子がそれだけ無学であるからだと私は考えて男子のために恥じております。

 近頃女子の職能を制限して結婚する事と子を生みかつ養育する事とのみにあると力説する人がありますけれど、現代の根本精神の一つである「自由討究」を重んずる私どもの心には「何故《なにゆえ》に」と叫ばざるを得ません。論ずる人の考では欧米の婦人の一部に種種の事情から結婚を厭《いと》う風のあるのを見て日本婦人を戒めるつもりでしょうが、それは白昼に幽霊の出るのを恐れるのと一般全く無用な心配です。何故《なぜ》なれば日本婦人は皆結婚を希望しております。結婚を嫌う風は少しも発生していないのです。そのくせ婚期に達した婦人の三分の二までも未婚婦人であるというのは、男子側が無財産であるために妻を迎えがたいからではありませんか。
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