女子の独立自営
与謝野晶子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)嫌《きらい》がありました
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)共通の点|即《すなわ》ち
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「手扁+僉」、第3水準1−84−94、63−13]
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人の性情にも体質にも万人共通の点|即《すなわ》ち類性と、個人独得の点即ち個性とがあります。前代の社会心理の公準は類性のみを見て人の全部だと誤解した嫌《きらい》がありました。似た所ばかりを集めて一つの型を空に作り、その型を標準として逆に一般の人間を律しようと致し、殆《ほとん》ど人の個性というものを眼中に置いていませなんだ。例えば初めから男というものはこういうものだ、女というものはこういうものだと決めてしまい、その「こういうものだ」という概念を土台にして更に男とはこうすべきものだ、女とはこうすべきものだという規範を立てて一概に万人を律し、その規範に合わない人は人間でないように軽蔑《けいべつ》する習慣を作るに到りました。昔から支那などは習慣を重んじ過ぎる国ですから、少し新しい人が出て自己の特性を発揮しようとすると、直ぐに不忠だとか大逆無道だとかいう悪名を著せて死罪に処したりなんか致します。人が尊いか、習慣が尊いか解らなくなっております。日本にも以前はそういう無茶苦茶な事が随分|盛《さかん》に行われていて、それがために天子様も久しく王政を復古遊ばす事が出来ず、佐久間象山《さくましょうざん》、吉田松蔭《よしだしょういん》のような偉人も因襲を脱して新吾《しんご》を磨こうと致したために殺されました。でその時代に危険のない生活を送ろうとする人人は、理も非もいわずに旧《ふる》い習慣と旧い概念とに盲従し、徳川将軍は千秋万歳日本の政権を握っているもの、武士は何時《いつ》でも主人のために腹を切るもの、儒学は永久に聖堂の朱子学《しゅしがく》を標準とすべきもの、宗教は仏教以外に信ずべからざる事、百姓町民は万世にわたって武人の下風に立ち、生かすとも殺すとも御役人の自由に任すべきもの、女は三界に家なく親と良人《おっと》と我子とに屈従すべきもの、こういう考でいるより外はなかったのです。
それを思
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