産婆や看護婦が駈け付け、森棟先生に泊つて頂く様な騒ぎを夜通しながら其儘鎮まつて仕舞つた。此前の産も同じ様な事があつて一月程経つてから生れた。癖になると云ふから今度も三月に入つて生むのかと想ふと、其様に延びてはわたしの体が持ち相に無い。森棟さんも榊博士も人工的に分娩を計らねばなるまいと言はれる。良人も親戚の者も子供は何うなつても可いから母親の体を助けて欲しいと言ふ。わたし自身にも然う考へて居た。死を怖れるのでは勿論無い。死ぬる際の肉の苦痛を怖れるのかと云ふと、多少は其れもあるが、度度の産で荒瀬に揉まれて居る自分には、男子が初陣の戦で感じる武者ぶるひ程の恐怖は無い。又もつと生き永らへて御国の為に微力を尽したいの、社会上の名誉が何うのと云ふ様な気楽な欲望からでは更更無い。つづまる所良人と既に生れて居る子供との為に今|姑《しばら》く生きて居たいと言ふ理由に帰着する。此の切端《せつぱ》詰つた場合の「自分」と言ふ物の内容は良人と子供とで総てである。平生の心で考へたなら、何も自分が居なくなつたからと云つて良人や子供が生きて行かれぬ訳も無いであらう。其れが此場合では、自分が亡くなると同時に良人と子供とが全く一無に帰して仕舞ふ気がしてならぬ。人は何処までも利己的である。禅家の大徳の臨終が立派であると云ふのは何よりも繋累《けいるゐ》の無いと云ふ事が根柢になつては居ないでせうか。
わたしは斯んな事で産前十日程から不安に襲はれ、体の苦痛に苛《さいな》まれて、神経が例に無くひどく昂《たかぶ》つて居た。
お産は二三度目が比較的楽で、度び重る程初産の時の様な苦痛をすると云ふ。産む人の体質にも由る事でせうが、わたしの経験した所ではよく其れが当て適《はま》る。此前の産も重かつたが、今度のは更に重かつた。産む時ばかりで無く、産前産後に亘つて苦痛が多かつた。幸ひ人工的の施術《しじゆつ》も受けず、二月廿二日の午前三時再び自然の産気が附いて、榊博士の御立会下さつた中で生みました。わたしは病院の御厄介になると云ふ事を従来《これまで》経験しませなんだが、お産を病院ですると云ふ事は経済さへ許せば万事に都合がよい。院長さんに親しく脈を取つて頂き、産婆さんや看護婦さんの手が揃つて居るので、産婦には何よりも心強い。
けれども産む時の苦痛は減じない。却《かへつ》て従来よりも劇しかつた。
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