ちません。これは天下の婦人が遍《あまね》く負うている大役であって、国家が大切だの、学問がどうの、戦争がどうのと申しましても、女が人間を生むという大役に優《まさ》るものはなかろうと存じます。昔から女は損な役割に廻って、こんな命掛の負担を果しながら、男の方の手で作られた経文や、道徳や、国法では、罪障の深い者の如く、劣者弱者の如くに取扱われているのはどういう物でしょう。縦令《たとい》如何《いか》なる罪障や欠点があるにせよ、釈迦《しゃか》、基督《キリスト》の如き聖人を初め、歴史上の碩学《せきがく》や英雄を無数に生んだ功績は大したものではありませんか。その功績に対して当然他の一切を恕《じょ》しても宜《よろ》しかろうと思います。
私は産の気《け》が附いて劇《はげ》しい陣痛の襲うて来る度に、その時の感情を偽らずに申せば、例《いつ》も男が憎い気が致します。妻がこれ位苦んで生死《しょうじ》の境に膏汗《あぶらあせ》をかいて、全身の骨という骨が砕けるほどの思いで呻《うめ》いているのに、良人《おっと》は何の役にも助成《たすけ》にもならないではありませんか。この場合、世界のあらゆる男の方が来られても、私の真
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