一概に婦人を崇拝したような小説の出るのを願うのではありません。世相を写すのが小説であるなら、女の弱点をも美所をも公平に取扱って戴いて、故意に弱点ばかりを見るというような不真面目《ふまじめ》な態度、態度というよりは作者の人格《ひとがら》を改めて戴きたい。弱点と申しても最《も》っと突込んで観察が深くないと、都《すべ》て男の方の勝手に作られた嘘の弱点になって、真実の女の醜い所が出て参りません。

 一体以前の小説には女の美しい点が沢山書いてありますが、それが私どもから見ると案外女の矯飾《きょうしょく》な弱点を男が美点だと誤解している場合があります。それを読んで女はこうすれば男に気に入るというような矯飾な工夫を増長して、自然内心では男を甘く見るという事も少くないと存じます。これと反対に、少しの弱点を捕《つかま》えてそれが女の性格の全部のように書いてある近頃の小説などを見ては一層|慊《あきた》らなく思います。以前のは一概に女の前に目も鼻もなくなって書かれた小説、近頃のは机の上で外国の小説などから暗示を得て書かれた小説、共に世相の真実には遠《とおざか》っておるかと存じます。私には空想とか想像とかで、尤《もっと》もらしく書かれた作も大好《だいすき》ですが、また殆《ほとん》ど観察ばかりで細かく深く実際の人間を写してある小説も拝見致したい。嘘らしい本当の小説は嫌いです。

 例えば婦人を浅ましい肉的一方に偏した者のように書く小説があります。偶《たま》にはそういう病的な婦人もありましょうが、婦人が都《すべ》てそうであるとは思われません。これは婦人でなくてはなかなか解りにくい事で、男の書かれた物のみでは信用し兼ねます。女の大部分が男の方に理解されぬとは思われませんが、こういう一部一部には女でなくては解らぬ点があるのでしょう。私どもから男の方を見るとやはり一部一部に解らぬ点があります。父親《てておや》が小児《こども》を母と一緒に愛します事などもちょっとその心持が解りません。婦人は懐胎した時から小児のために苦痛をします。胎内で小児が動くようになれば母は一種の神秘な感に打たれてその児に対する親《したし》みを覚えます。分娩の際には命を賭《か》けて自分の肉の一部を割《さ》くという感を切実に抱《いだ》きます。生れた児は海の底に下《お》りて採り得た珠《たま》と申しましょうか、とても比べ物のないほど可愛
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