の途にばかり興味を持っておられるらしい今の一部の文学者の僻《へき》した御考《おかんがえ》ではありますまいか。

 私は男と女とを厳しく区別して、女が特別に優れた者のように威張りたくて申すのではありません。同じく人である。唯協同して生活を営む上に互に自分に適した仕事を受持つので、児を産むから穢《けがら》わしい、戦争《いくさ》に出るから尊いというような偏頗《へんぱ》な考を男も女も持たぬように致したいと存じます。女が何で独り弱者でしょう。男も随分弱者です。日本では男の乞食《こつじき》の方が多いことを統計が示しております。男が何で独り豪《えら》いでしょう。女は子を産みます。随分男が為《な》さっても可《よ》さそうな労働を女が致しております。
 一般の人はともかく、新しい文学者の諸先生が女を弱者とし、これを玩弄物《もてあそびもの》にして、対等の「人」たる価値《ねうち》を御認めにならぬのは、例えば生殖の道においてのみ交渉を御認めになるというようなのは、いまだ古い思想に縛《しば》られておられるか、または大昔の野蛮な時代の獣性を復活して新しくせられるつもりか、どちらにしても真の文明人の思想に実際到達しておられぬからであろうと存じます。

 男を女が軽蔑《けいべつ》する理由がないように、女を男の方が軽蔑せられる訳は到底ないと考えます。釈迦が女の右の脇腹《わきばら》から生れたの、聖霊に感じて基督《キリスト》を生んだの、日を呑《の》んで秀吉《ひでよし》を生んだのと申すのは、女は穢《けがら》わしい物だと思う考えが頭にあって書かれた男の記録でしょうが、それがかえって女を豪《えら》くした妙な結果になっております。日や聖霊に感じて孕《はら》んだり脇腹から生んだりする奇蹟は男の方の永劫《えいごう》出来ない芸ではありませんか。

 女が同盟して子を産む事を拒絶したらどうでしょう。また文学者や新聞記者に一切婦人の事に筆を著《つ》けぬように請求したらどうでしょう。それが聞かれねば一切小説と新聞紙を読まぬ事に決めたらどうでしょう。そういう極端な事でなくても、下女《げじょ》が台所でちょっと間違えて毒な薬を食物に混ぜても男は悲惨な結果になりましょう。男が女と協同し尊敬し合う事を忘れるのは決して名誉でありません。少くとも進歩した文学者は「人」として対等に女の価値を認めて戴《いただ》きたいと存じます。
 と申して、
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