宅雄次郎《みやけゆうじろう》博士は『東京朝日』紙上で故|乃木《のぎ》将軍の遺書が伯爵|寺内正毅《てらうちまさたけ》氏に由って書き替えられたと公言せられ、また同時に男爵|後藤新平《ごとうしんぺい》氏の私有財産は二千万円に達している、それは後藤氏の労働から収得した正当な報酬であるかと詰問されております。これらの事件が欧米の社会で公言されたならば、二氏の人格は破滅してその首相たり内相たる地位から永久に失脚するか、あべこべに摘発者の三宅博士が裁判沙汰によって公人の生活から放逐せられるかして、いずれかの一方が由々《ゆゆ》しき倫理的制裁を受けずには已《や》まないでしょう。しかし寺内、後藤二氏はこの致命的事件に対して全く知らぬふりをし、同僚の閣臣も、貴衆両議院も、政党も、教育界も一般社会も平然としてこれを看過しております。寺内、後藤二氏非なるか、三宅博士是なるか、それを明らかにすることなくして、この一国の風教に関係ある重大なる問題は、軽々に取扱われてしまうのです。しかし人の母たる私たちに取っては、こういう事実が新聞紙上に現れるごとに、言い知らぬ不快と公憤とを感じます。母の心にも、子供たちの心にも、大官となるに従って、あくまでも利己的生活を遂げるために、如何なる非倫不徳の行為を重ねても――それは一般人に対しては小学の修身読本においてすら厳禁されてある事でありながら――彼らの特権として道徳的にも法律的にも制裁されないものであるということの疑惑が保留されるのを、白日《はくじつ》の下に何人も裁決してはくれないのです。これを思うと、しばしば内閣議長となった政界の名士のカイヨウ氏を現に売国的行為の嫌疑によって厳格な審判を加えつつある仏蘭西《フランス》人の倫理的敏感を羨《うらや》まないでいられません。
今一つ日本人の生活の弛緩している例には日本人の直接の指導に当る教育界の無気力無精神を挙げたく思います。この事は教育者自身に早く気の附いている所であって、その証拠には、この三、四年間の各教育雑誌ほど不平不満の文字の満載されたものはないのです。教育者たちの中の進歩主義者は、私たちが想像している以上に我国の教育と教育界とを極端に弊害の多いものとして痛論しているのです。それらの文字だけを読んでいると、これだけ多数の不平家が教育界に集っている以上、教育の改革は今にも教育界の内部から爆発しそうに頼もしく思
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