のはそれだけ文明人の心掛に接近したのである。女子の進歩である。
この問題は個人個人の問題であって一般婦人を共通に支配し得る客観的基礎というものが容易に発見せられようとは想われない。当分は各自の持っている智識と感情とに由って研究した結果、独得の見解を下してそれを実行するより外はないようである。
体質の優劣と、境遇の良否と、教育の深浅とで各自の心状態が違う以上、またその心状態の違うということを今日の婦人が意識している以上、客観的な概論に屈従して各自の貞操観を完成する事は出来ない、客観的に学問的基礎を与える事も勿論自分らの内心が要求しているけれど、更にその中心に根強い個人自身の実証を据えるのでなければ満足しがたい。
次に少しばかり自分が貞操を尊重している現下の心持を述べてみたい。自分はこれを他に強いようとするのでも、他に誇ろうとするのでも毛頭ない。所信を述べてこの問題を討究する資料に供したいばかりである。
先ず「貞操」という言葉の意味について自分の考を述べると、これには処女としての貞操と、妻としての貞操と二つの区別があるように思われる。昔は他の男を見て心を動《うごか》すものは既に姦
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