可憐だとして小鳥の如くに男子から愛せられる原因とはなったが、大抵はその盲動と共に女子と小人とは養いがたしとて男子から蔑視《べっし》せられる所以《ゆえん》であった。今は女の目の開く世紀である。その感情を偏狭より脱して深大豊富にすると同時に、その盲動を改めるために、それに軸または中心となる理智を備え、理智に整理せられつつ放射状に秩序ある感情の明動をしようとする時が来た。いわゆる女子の自覚とはこれを基礎として出発し、自己を卑屈より高明に、柔順より活動に、奴隷より個人に解放するのが目的である。
 男子はこういう意味の感情の修練、自己の解放を古くから気附いていた。希臘《ギリシャ》印度の古い哲学より欧洲近世の科学に到るまで、総て要するに男子が自ら全《まった》かろうとする努力の表現である。女子は殆《ほとん》どこれらの文明に与《あずか》っていなかったといってよい。
 初心《うぶ》な女だといわれることは最早何の名誉でも誇りでもない。それは元始的な感情の域に彷徨《ほうこう》して進歩のない女という意味である。低能な女という意味である。
 気が附いて見ると、男子は大股《おおまた》に濶《ひろ》い文明の第一街を歩
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