た所から生ずるという人がある。しかし自分には何らのそういう好奇心も感じなかった。自分の経験でいえば、性欲というべきものの意識は処女時代にない。性欲の記事を読んでも、男子のように肉体的に刺激せられる所は少しもない。これは男子と生理関係の相違が大変にあるらしい。或る特別な境遇に育った処女は知らぬこと、普通の処女は自分と同じであろうと想われる。専門学者から見たなら、処女の恋愛や男子に対する好き嫌いの感情にもその根柢には性欲が潜在しているかも知らぬが、処女には全くその意識が欠けているのではないか。もし処女にもあれば、性欲に対する好奇心があるだけであろう。それとても目に見えて肉体の衝動から自発するのではなかろうと想われる。そうして自分にはその好奇心に類似するものすら欠けていた。
自分が「純潔」を貴ぶ所から堺《さかい》の街《まち》の男女の風俗のふしだらな事を見聞きしてそれを厭《いと》い、また読書を好む所から文学書の中の客観的な恋愛に憧《あこが》れて、自分の感情を満足させていたのが、処女時代の貞操を守り得た二つの理由であったが、厳格な家庭が実世間の男子と交際する機会を与えなかったのもまた一つの理由であった。
自分は学校へ行く以外に家の閾《しきい》を跨《また》いだことは物心を覚えて以来良人の許《もと》へ来るまでの間に幾回しかないということの数えられるほど稀《まれ》であった。堺の大浜《おおはま》へさえ三年に一度位しか行かなかった。自分の歌に畿内《きない》の景色や人事を歌うことが多くても、実際京都や大阪へ行ったことは十度にも満たないのであった。それだけにかえって深い印象が今に残っているのかも知れぬ。勿論学校へ行くには女中や雇人の男衆が送り迎えをする。その外の場合は父や親戚《しんせき》の老人や雇人の婆《ばあ》やなどが伴《つ》れて行ってくれる。全く単独に出歩いたことはなかった。
女学校を出てからは益々家の中でばかり働いていた。厳し過ぎる父母は屋根の上の火の見台へ出ることも許さなかった。父母は娘が男の目に触れると男から堕落させに来るものだと信じ切っていた。甚《はなはだ》しい事には自分の寝室に毎夜両親が厳重な錠を下して置くのであった。雇人の多い家では――殊に風儀の悪い堺の街では――娘を厳しく取締る必要があることは言うまでもないが、自分ほど我身を大切に守ることを心得ている女をそれほどまでに
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