に思ふことが多かつたのです。お金持でなくても一人子なら好《い》いとも思ひました。私などは一月《ひとつき》のうち三言も父が言葉を掛けてくれるやうなことは稀有だつた程ですから物足りなかつたのです。私と南さんは女学校でも一緒の教場に居ました。此処《ここ》では小学生の私がお姫様のやうに思つて居ました南さんよりも更に綺麗な着物を着たり、華やかな風采をもつた友達が多く出来ましたけれど、やはり私の一番なつかしい人は南さんでした。朝は時間を云ひ合せて街角で出合つて登校をして、帰りも必ず一緒に校門を出ました。杏《あんず》の木の下の空井戸《からゐど》の竹簀《たけず》の蓋にもたれて昼の休時間は二人で話ばかりして過しました。
「大阪に梅《うめ》の助《すけ》と云ふ役者があるの、綺麗な顔ですよ。この間《あひだ》ね、お小姓《こしやう》になつたの、桃色のお振袖《ふりそで》を着てましたよ。」
 かう一度南さんの噂に出ました役者はそれから間もなく死んだと云ふことです。私等は十五の歳《とし》に女学校を卒業しましたが、南さんはそのまゝお下《さが》りになり、私は補習科に残りましたから、淋しく物足らない思ひをすることも屡《しば/
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