女学校へ行つて居る頃に、一度街で柴田に逢ひました。柴田は島田を結《ゆ》つて居ましたが顔は昔のあの顔でした。
私の生ひ立ち 八 たけ狩
たけ狩
和泉《いづみ》の山の茸狩《たけがり》の思ひ出は、十二三の年になりますまで四五年の間は一日も忘れることが出来なかつた程の面白いことでした。他家《よそ》の子には唯事《たゞごと》のやうなそんなことも、遊山《ゆさん》などの経験の乏しい私には、珍しくて嬉しくてならなかつたのです。誰も誰も堺《さかひ》の子供が親達や身内の人に伴はれてする春の浜行きも、私は殆どしたことがありませんでした。私は友染《いうぜん》の着物なども着ないうちに、身体《からだ》の方が大きくなつてしまふことが多かつたのです。
あの茸狩は牡丹《ぼたん》模様の紫地の友染に初めて手を通した時です。帯は緋繻子《ひじゆす》の半巾帯《はんはゞおび》でした。大戸は下されたままで、横町《よこまち》に附いた土間の四枚の戸が開けられ、外に待つて居る車の傍《そば》へ歩んで出ました頃、まだ街は真暗でした。四時頃だつたと後《のち》に母は云つてました。真先《まつさき》の車は父で、それには弟が伴はれて乗つて居ま
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