扇を今日は皆持ちます。子供心にあらゆる諸国の人が集つたかと思はれた程この日には遠い田舎《ゐなか》からも見物に出て来る人で道が埋つてしまひます。私等はもう昨日のやうに、芝居の花道を歩くやうに、大道を練つて歩くことも出来ないのです。だんだんと街々の騒ぎは高くなつて行きます。新柚《しんゆ》の香が台所から立ちます。祭列を見るのは夜の十時頃です。海のやうに灯の点つた町を通るのでありながら、やはり夜のことですから、お稚児《ちご》さんの顔などは灰白《はひじろ》く見えるだけです。馬上の鼻高《はなだか》さんの赤い面も黒く見えるのです。私は刻々不安が募つて行きます。それは今日に変る明日の淋しい日の影が目に見えるからです。


私の生ひ立ち 五 嘘



 九歳《こゝのつ》位で私の居た級では継子話《まゝこばなし》が流行《はや》りました。石盤へ箱を幾つも積み重ねたやうな四階五階の家を描いて、草書の下と云ふ字のやうなものを人だとして描いて、蒲団《ふとん》[#底本では「薄団」と誤植]の中へ針を入れて置いたりする鬼のやうな継母《まゝはゝ》の話ばかりを、友達等は毎日しました。一人が話し出しますと、大抵七八つの首がそ
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