《いづ》れ国境の山なのでせうが、紀州境ひなのか、河内《かはち》境ひなのか知りませんでした。道の細くなつたり、坂になつた所になりますと私等は車を降りて歩きました。ある丘のやうになつた村では、従兄が母に命令《いひつ》かつて湯葉《ゆば》を買ひに行きました。それから薪屋《まきや》の金右衛門《きんゑもん》さんの家までは、もう半里程だつたやうに思ひます。畑の間の路が少し広がつたと思ひますと、もう其処《そこ》が私の行く家の座敷の庭だつたのです。車を降りた所に縁側があるのでせう、座蒲団《ざぶとん》の並んだ畳が見えるのでせう、私は驚きました。門口《かどぐち》をくぐらないで直ぐ道からお座敷になつて居る家などを、町家育ちの私は初めて見たのです。
「何処《どこ》に松茸が出来て居るのでせう。」
と私はお政さんにそつと云つたりして居ました。
「山までは十町程御座います。」
と金右衛門さんは人々に云つて居ました。お茶を飲んで居ますと縁側の前へ村の子供が大勢集つて来ました。母は袋から用意して来たらしい餅菓子を出して、その子等へ二つづつ程分けて遣《や》りました。どんなに田舎《ゐなか》の子は喜んだでせう。私は初めて母のするいいことを見たと云ふやうにその時は思ひました。下駄を藁草履《わらざうり》に穿《は》き変へて、山へと云つて伴はれた時は、天へ上《のぼ》るやうな気分になつて居ました。
「此処《ここ》から上つて頂くのです。」
かう金右衛門さんに云はれました時、私はその絶壁のやうな山を、どんなに驚いた目で見上げたでせう。何かの木のやゝ細い幹を持つて伝ひ歩きをするやうにして人々は上りました。私などは一番|後《あと》だつたのでせう、傍《そば》にはお菊さんとお政さんが居ました。二三|間《げん》上ると松葉を上に被《かぶ》つた松茸が一本苔から出て居ました。
「あつ。」
と云つたのは三人|一所《いつしよ》でしたが、
「さあおとりやす。」
と譲つてくれましたのが、私にはもの足りませんでした。そのうちもう私は私、お政さんはお政さんと、いくらでも松茸の取ることの出来る所へ来ました。山の外側から内側の窪んだ所へ入つたのでせう。従兄の声や番頭の声がとんきやうに渓々《たに/\》から聞えて来ました。物を云つて山響《やまびこ》の答へるのを聞くのも面白く思はれました。松茸は取つても取つてもあるのですもの、嬉しさは何とも云ひやうがありま
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