せん。母が何処《どこ》に居るか、弟がどうして居るかとも私は思つて見る間がありませんでした。
「お茶ですよ。」
と呼ぶ声が何処《どこ》からとなしに聞えて来ましたので、私等は暗い木の中から少し上の明るい、幾分道のやうになつた所へ出て来ました。後《うしろ》や横から一人来、二人来して呼び声の起つて居る所を皆がさして行きました。其処《そこ》は山の最も高い所と云ふことでしたが外輪の一角なのです。呼んで居た人、席を二三枚の毛布《けつと》で作つて居る人は、皆金右衛門さんの家の下男でした。大きい松の木の下で、瓦を囲つて枯枝を焚いた上には大きい釜が掛けられてあつて、松茸御飯の湯気がぶうぶうと蓋の間から、秋の青空めがけて上つて居るのでした。其処《そこ》へまた下男の一人は大きい重箱二つを一荷にして舁《かつ》いで来ました。
「さあお子様《こさん》方、お子さん方。」
と呼ばれて毛布《けつと》の上へ草履を脱いで上つた私達は、お重の中のお萩《はぎ》をお皿なしに箸で一つ一つ摘んで食べようとしました。小い従兄は、
「あツ辛《から》。」
と云つて、後《うしろ》向いて木の間から渓の方へ食べかけたお萩の餅を捨てました。塩餡《しほあん》だつたのです。私も面白半分に、
「辛い。」
と真似をして捨てましたが、悪いことをしたと直ぐ思ひました。松茸の御飯や、お汁や、それから堺から待つて来た料理やでおいしいお昼飯は食べましたが、父やその外《ほか》の人の酒宴《さかもり》が、何時《いつ》果てるとも見えませんのが困ることと思はれました。松の木の間からは遠い村里や、続きに続いた山脈の青が眺められました。心が悲しいやうな寂しいやうなものになつて居るのでしたから、弟を誘つたり、従兄を呼んだりして、もう一度松茸を捜しに行くこともしたくないのでした。金右衛門さんの指図で、私等はやつと山を下りることになりました。蜜柑畑へ更に伴はれるのです。酒宴《さかもり》の所で踊《をどり》を見せたりして居たお政さんも一所に行くことになりました。大人達は外《ほか》の道から帰ると云ふことでした。低い山に見渡す果てもない程に多くの蜜柑の木が植つて居ました。青い中に星のやうな斑点が蜜柑に出来た頃です。
「いくらでもおとりなさい。」
と云はれても誰も皆十五六よりは手に持てませんでした。手拭《てぬぐひ》の端へ包んで田舎者のやうに肩へ掛けて歩くのが、どんなに面白く思
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